船越海岸の慰霊碑に献花し、手を合わせる沖縄と奄美の児童生徒ら(24日、宇検村宇検)
太平洋戦争末期、米潜水艦の攻撃で沈没した疎開船「対馬丸」の事件を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さを学ぶ交流事業が24日、宇検村で開催された。主催する沖縄県のほか同村と大和村の児童生徒、保護者ら計54人が参加。事件から80年の節目を迎えた今年、玉城デニー沖縄県知事らと共に同村の船越海岸で営まれた慰霊祭に参列し、犠牲者を悼んだ。
対馬丸は1944年8月21日、学童や一般疎開者ら1788人が乗船し、沖縄県那覇港を出港。翌22日夜、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した。犠牲者は1484人、うち学童は784人で一般疎開者含む15歳以下は1040人とされている。
宇検村、大和村、瀬戸内町など奄美大島に漂着し、救助された生存者は判明分で21人、沖縄へ運ばれた遺体は105体。2017年、地元住民らの要望から対馬丸の犠牲者を悼む慰霊碑が建立され、同年から慰霊祭、翌年から同事業を開始した。現職の沖縄県知事が慰霊碑を訪れたのは、2017年11月の故翁長雄志氏以来2人目となった。
慰霊祭には事業参加者、地元住民ら合わせて約100人が参列。宇検集落の津田政俊区長(66)が式辞を述べ、元山公知宇検村長らがあいさつ。玉城知事は「慰霊碑を建立以来、毎年慰霊祭を開催していただき、宇検村の皆さまに心からお礼を申し上げる。平和学習交流事業など通し、対馬丸事件の記憶の継承と次の世代の交流が深まっていくことを強く願う」と述べた。
事業参加者らは慰霊祭にあたり、船越海岸でフィールドワークを実施。事件当時、地元住民総出による救護の状況、事件後の慰霊碑建立に至る歴史などを学び参列。慰霊祭後は同村の元気の出る館で、学びを振り返った。
沖縄県の嘉手納中1年の前島空奈(そな)さん(13)は「平和について考えることは大事だと思い参加した。先祖が犠牲になったことで、今の平和が築けていることを伝えていければ」、田検中3年の碇元陽衣(ようい)さん(14)は「埋葬した宇検の方々も苦しかったと思う。自分なりに戦争がなくなる方法を考えてみたい」と話した。