2024夏 思い出 3題 1題目 「奄美の海、独り占め」

スイカの傘を手にあやまる岬公園下の海岸で「この海、私だけのもの。独り占め」と大声で叫ぶ。着ているTシャツはライブコンサートのもの


「ブーゲンビリアの色が違う。写真撮って」と注文された花の写真。確かに…


後輩の2人は「アランガチの滝」でポケモン探しに夢中

 今年の夏は、奄美と東京を往復する忙しい日々を過ごした。新型コロナ禍があけ、記者の周りの友や知り合いが動き出したからだ。「思い出1題」は、東京の友人が待ち焦がれた奄美に訪れた。彼女はどこに連れて行っても感激の歓声を上げた。その奄美旅をつづる。続く「思い出2題目」は、沖縄県の東風平小学校ナイン「東風平星」たちが出場した全日本学童軟式野球大会。熊本から上京した友人夫婦は、沖縄に住む孫を応援するために神宮球場での開会式を見た後は、台風に遭い、試合観戦ままならず後ろ髪をひかれて帰郷したお盆の夏の思い出。そして、「3題目」は「芦良会」が主催した故右田昭進・和子ご夫妻を偲ぶ会」。開会のあいさつで元芦良会の徳岡辰寛会長は「奄美の生き字引き」「島さばくり」という言葉を一般化させた人物と紹介。「伊是名の会」や遺族との交流を含めた両夫婦を偲ぶ会の心温まる様子を紹介する。

(永二優子)

福岡のライブ後に飛んできた友

 東京に住む友人達と久しぶりに再会したのは、今年の4月21日。コロナあけの安否確認。メンバー4人は1996年に渋谷区立西原小学校PTAの役員だった。その中の1人・Nさんは生粋の東京人。品川区で生まれた65歳。子どもは2人で孫1人。

 その彼女が「私、ようやく1人で旅に行けるようになった。主人と私の両親の最期を全て看取ったから。孫のいる娘が『お母さん、好きなことすればいいよ』と旦那にも言ってくれたのよ。だから、今年は福岡の桜田通ライブコンサートの後に、奄美に行きたい。7月23日は福岡から。帰りは25日で羽田に帰る予定で2泊3日。夏休み始まりと同時。よろしくお願いします」と頭をさげられたのはまるで、昨日のようだった。

 彼女と同級生で、奄美に帰省した後輩のIさんと一緒に「彼女のための奄美観光旅」を考え実行した。車の運転は後輩と私2人。心配なのは天気のみ。福岡からは朝早く午前8時15分には奄美空港に到着。当日の迎えは私のみ。北大島観光を設定し、あやまる岬へ。トイレの上の展望台から海を臨む。奄美空港についた時から「わー」「きゃー」「きれい。何もかも違う」「すごいよっ」と興奮冷めやらぬ感嘆詞が彼女の口からずらずら。

 「みしょらんcafe」周辺やあやまる岬を散策。その後、下の同観光公園へ。手前の「あやまるソテツジャングル」から海に下りる。「私だけの海だよー。独り占め、うふふ」とスイカの傘を広げ、大声で叫ぶ。誰もいない海。声は青い空と海にいとも簡単に吸い込まれていく。ジャングルを去る時「花が違う、色が違う、ブーゲンビリアの色が違う。写真撮っといて」と注文がきた。まぶしいばかりの色はやっぱり青い空のおかげ。まだ、時間はたっぷり。下の公園では「外国のような遊具だあっ。きれいきれい。あやまる岬から見た時、なんだろうと思っていた」と叫びっぱなし。「みしょらんcafe」のオープンは9時30分。開店を待てずに田中一村記念美術館へ。ここで、ゆっくり一村を愛でる。「すごい人が奄美にいたんだねえ」。11時過ぎには「ばしゃ山村」へ。鶏飯を昼食。ごはん3杯おかわりした彼女は「おいしい、おいしい」と完食。終わったら「ビッグⅡ」でお土産買い物タイム。かご一杯買い込んだ彼女は、宅配便で送ることができると大喜び。スーツケースも遅れるか確認すると、購入品だけとのことだった。「残念」。その後、名瀬に向かい、投宿場所へ荷物を預け、Nさんは名瀬町をぶらぶら。宿に近いY先輩夫婦と出会い、自宅で一服させてもらう。正月飾りや陶器、小物づくりに勤しむ彼女と同様に物づくりに造詣の深いYさんの妻と話が弾む。夜はIさんと3人で、予約してある屋仁川の焼き鳥屋へ。

 翌日の朝はサンドウィッチカフェで朝食を求め、宇検村湯湾の「アランガチの滝」へ。運転はIさんが務めた。助かる。2人は仲良くポケモンも一緒に探しながら動いていた。そこから「うけん市場」へ。卵と、冷凍イカみそ、新鮮な野菜とシフォンケーキを買う。湯湾では必ず寄る場所だ。帰りは奄美市住用町のそば屋「紬庵」で遅い昼食をとる。なんと、スコールがすごくて大浜海浜公園上の駐車場からの夕日と天の川見学は断念。24日は家飲みに変更。前日も寄らせてもらった宿近くのY先輩夫婦の妻に頼み込む。スーパーで飲み物と総菜を買い込み、Y先輩宅へ。料理上手なIさんは、オクラのゴマ和えや煮物、赤ワインを持参。並んだ料理を前に女性4人での奄美の夜2日目もアッという間に更けた。

 最終日の25日。彼女は奄美空港へ。車の中で「奄美ってやっぱり、来てよかった。海も滝も、人もサイコーだった。ありがとう」と繰り返した。倉崎海岸の「ネイティブシー奄美」で昼食をすませ、空港近くのかき氷の店「あまやどり」へ。ビッグサイズのかき氷にあんぐりしていたら、「食事してなかったら食べられたかも…」と彼女はポツリ。おもわず「ごめん」と謝ってしまった。女性はごはん代わりにかき氷がOKだとわかった次第。次回、ナビするときは気を付けよう。

 彼女は2日分の旅支度のリュックに荷物を移し、不要なものはスーツケースに入れて、空港のJAL便と共に運んでくれる宅配便に預けた。「身軽に帰らなきゃ。あとは楽ちん、楽ちん」。旅慣れ度合いが高い。真似するしかない。「たくさんたくさんお世話になり、本当にありがとうございました。無事に今、家に着きました。楽しい思い出と共に東京に帰ってきちゃいました。奄美、人も景色も温かくて本当にすてきな所でした。東京のほうが暑いです。気をつけてお戻りを」と、お礼が届いた。奄美の旅を満喫した彼女は、すぐに桜田通の追っかけに東北に向かったが、久々にIさん共々、私たちも奄美の旅を楽しんだ日々だった。