義山さんのアクリル画「エナジー」。60年ほど前、伊仙町から持ってきたガジュマルの根がインスピレーションに
第9回の世美展の様子
第6回世美展の会場での義山さん
【東京】徳之島出身の画家・義山正夫(画号・奄宮東世)さん(84)の主催するグループ展「第10回世美展」が狛江(こまえ)市の泉の森会館2階ギャラリー(狛江市元和泉1の8の12)で、10月9~13日まで開催される。同展には、過去最多の37人が参加。個性豊かで見応えのある作品が会場を色鮮やかに演出し、来場者を待っている。
「世美展」は参加型のグループ展で、伊仙町出身の義山さんが、2015年に発足した。「地域の芸術活動に貢献するとともに、参加者一人一人のやりがいにもなっています」と常連参加者の色鉛筆画家・ヒラオカタマコさんが、感謝を込めて意義を表す。
幼い頃から絵に親しんだ義山さんの腕前は、評判だった。終戦の混乱期に一家は、密航船で徳之島から奄美大島、鹿児島本土へ。宮崎で育った。宮崎の小学校時代、島の事情を知る沖縄出身の教師に出会い、絵描きを夢見る。その後、武蔵野美術大学に進学したものの、学費を稼ぐアルバイトの日々。住居にも困り、仲間と橋の下で暮らしたことも。「パン屋のおばさんに絵を消すためと、くずパンをもらっていた」ほど。だが、絵に傾ける情熱は失わなかった。
1970年に創立したアニメーション会社「スタジオロビン」が「アルプスの少女ハイジ」などの彩画を担当。「寝る間も惜しむほど忙しく、80人の従業員を抱え生活は潤った」。ところが64歳の時、心筋梗塞(こうそく)に倒れてしまう。路上で苦しんでいた義山さんだったが、消防活動や経営者として地域で著名だったため「即搬送され、最高の治療を施され命拾いした」。島と同様に人とのつながり、ありがたさを知り、70歳にして絵画の世界に戻ったのだった。義山さんは、美しくも遠く遥かな古里を「島を後にして77年たつ今も奄美新聞を拝見することで、いつも島への思いで胸がいっぱいになります」と語っている。
松原俊雄狛江市長も毎年足を運んでいるという「第10回世美展」は、午前10時(9日は正午)から午後5時まで。最終日は午後4時まで(問い合わせはTEL03・5497・5444)。場所は、小田急線狛江駅北口徒歩1分。