「震洋」の模型を寄贈した海田悟史さん(20日、瀬戸内町)=提供写真=
第2次世界大戦の末期に作られた日本海軍の海上特攻兵器「震洋」を精密に再現した模型が13日、瀬戸内町埋蔵文化財センターに寄贈された。寄贈したのは、当時、岡山県倉敷の基地で海軍飛行隊(予科練)の乗組員として従軍していた藤山益夫さん(故人)の孫・海田(かいだ)悟史さん(30)=姶良市在住=。海田さんは「16、17歳の少年が、ベニヤ板で作られたボートに自分の命を懸けなければならなかった戦争の狂気を多くの人に知ってほしい」と語った。
「震洋」は太平洋戦争末期の1944年、日本海軍が開発した特攻目的の小型モーターボート。全長約5㍍、重量は約1・2㌧。艇首に250㌔の爆薬を搭載し、目標艦艇に体当たり攻撃した。船体はベニヤ板を貼り合わせて作られ、終戦までに6000艇余りが製造された。約2500人の特攻隊員が命を落としたといわれている。
波が穏やかな瀬戸内町加計呂麻島の呑之浦には格納壕(ごう)が作られ、「第18震洋隊」が配備されて基地として使われた。訓練は、軍需工場があった長崎県川棚町などで行われた。
寄贈された模型は、10分の1スケール。全長約70㌢、全幅約20㌢、全高約30㌢。水冷式モーターで稼働し、無線操縦が可能な設計(現在は稼働しない)。戦後、戦友会のまとめ役だった藤山さんに製作者から託されたという。
海田さんは「模型を見ても、(実物の)小ささ、ベニヤの薄さが容易に想像できる。いかに人命が軽視されていたかが伝わってくる」と話し、「貧弱な木製ボートで自爆攻撃をしなければならなかった戦争の狂気と不条理を製作者は伝えたかったのではないだろうか」「模型は、平和を考えるために使ってほしい」と話した。
同センターの鼎(かなえ)丈太郎主査(48)は、「海田さんの希望もあり、寄贈された模型は歴史を伝える講座などで活用したい。準備が整えば、常設展示したい」と話した。