同町の近代遺跡について講演する鼎氏(右)(21日、瀬戸内町の古仁屋高校)
鹿児島大学の石田智子准教授らは21日、瀬戸内町で同大と古仁屋高校(米澤瑞代校長、生徒86人)、指宿高校と合同で戦争遺跡の巡検を始めた。23日まで。学生や生徒らは座学と現地の両方で知識と見聞を深めた。
合同巡検は同大の高大連携を兼ねた高大生の歴史実践と協働型価値創造の一環。同大からは9人、鹿児島大と関わりがあり、古仁屋高での勤務経験をした指宿高の米倉秀和教諭と戦争遺跡を調査する同高の生徒5人が参加。古仁屋高からは地域の課題を見つけ、解決する方法を探究する「まちづくり研究所」(立神倫史顧問、部員24人)の5人の計20人に加え、近畿大と筑波大からそれぞれ1人が加わった。
古仁屋高であった講義では旧日本海軍が開発した特攻兵器の「震洋」の模型をテーブルの中心に置き、同町教育委員会社会教育課の鼎丈太郎氏が同町の近代遺跡について講演。奄美大島要塞(ようさい)跡や西古見砲台跡等の概要を説明し、「指宿にも古仁屋にも水上飛行機の基地跡があり、重要な拠点だった」と述べた。大学生らが宿泊を予定している西古見地区にある砲台跡について「海上から離れた場所にあり、観測所で敵艦の位置を捉えて、砲台へ連絡し、砲撃する施設」などと写真や図を示して解説。筑波大の松井俊也博士(学術)は町内にある奄美大島要塞跡を三次元計測した「点群データ」について紹介した。
古仁屋高の瀬戸内町まちづくり研究所の研究発表もあり、西方地区の集落活性化に向けた①遺跡の模型作成②新商品の開発③説明や注意喚起のための看板作成―の取り組みが紹介された。
参加した指宿高の國師雪乃さん(16)は「戦跡を見てどう復興していったのかを探究している。私たちが知らなかったことを知ることで、より戦跡を含めた歴史について調べてみたい」と話し、古仁屋高まちづくり研究所の與倉音々部長(17)は「いろんな人と触れ合い、話を聞くことで知識が深まり、いい経験になった。戦争遺跡や古仁屋高の昔の出来事も知ることができてよかった」と語った。
古仁屋高での講演後、鹿大生と指宿高の生徒らはキャンプ施設の西古見GATEで宿泊。22日は加計呂麻島や奄美大島北部の遺跡を訪れる予定。