高大連携の意義、瀬戸内町の戦争遺跡について語る鹿児島大学法文学部の石田智子准教授(23日、奄美市立奄美博物館で)
「奄美大島要塞(ようさい)跡」として国史跡となった三つの遺跡のうちの一つ西古見砲台跡(観測所)=瀬戸内町教育委員会提供=
鹿児島大学法文学部付属「鹿児島の近現代」教育研究センターの2024年度地域マネジメント教育研究プロジェクトとして同大、古仁屋高校、指宿高校の高大連携による奄美大島、加計呂麻島の合同巡検が21日から23日まで行われた。戦争遺跡を中心に現地を訪れての見学やセミナーなどがあったが、同学部の石田智子准教授(専門・考古学)は古仁屋高校「まちづくり研究所」(立神倫史顧問、部員24人)の戦争遺跡を中心とした探究活動について「自分たちの足元にある歴史を理解し発信しており、学生たちは刺激を受けていた」と振り返った。
鹿大と古仁屋高の連携は、2020年に同大であったワークショップに同高が参加したのがきっかけ。指宿高も戦争遺跡や民俗の探究活動を通して同大と関わっており、同高の担当教諭が古仁屋高での勤務経験があった関係で今回の合同巡検が実現。鹿大からは石田准教授をはじめ教員4人と学生5人、指宿高からは教諭1人と生徒4人が来島した。
プロジェクトは「地域に生きる、歴史を生きる:高大生の歴史実践と協働型価値創造」を掲げている。地域の中心にあり続けた学校に焦点をあて、地域資源の発見・記録・保存・活用に取り組み、新たな価値を創出する高校生や大学生の活動を支援することで、地域資源への幅広い興味関心を持つ地域人材や専門的知識・技能を備えた専門人材育成に貢献することを目的とする。
今回の巡検を振り返って石田准教授は「戦争遺跡に関心がある学生が参加したが、戦争については教科書で学んできた広島、長崎、沖縄の印象しかなかった。瀬戸内町にこれだけの戦争遺跡があることに驚きを覚えていた」と語った。実際に現地を訪れ立地を確認し、もともとは軍事施設だった弾薬庫や観測所跡などに入り、見学したことで建物の材質を確認。コンクリートではあるものの、ごつごつとした大きな石が入っていたり、鉄骨とされた部分に実際には木材が用いられるなど「使われた建築資材を通し当時の物資の困窮状況に新たに気付かされた」という。
こうした戦争遺跡のうち要塞司令部(現在の古仁屋高校)、手安弾薬本庫跡についてまちづくり研の部員が説明。石田准教授は「学生たちは文字面でしか戦争遺跡について理解できていない。それほど年齢が変わらない高校生がしっかりと説明できることに刺激を受けたようだ」と指摘する。まちづくり研の活動について「戦争遺跡だけでなく関連した商品開発にも取り組むなど総合的に進め地域活性化に役立てようとしている。(こうした取り組みは)こちらも勉強になった。ぜひ継続してほしい。大学の専門的立場から引き続き支援していきたい」とし、高校生の活動の場合「重要なのは毎年メンバーが替わること。新陳代謝につながり、その都度、興味関心を持つテーマに移り変わることで地域に根差した活動となる」と話した。
まちづくり研の活動で印象的だったのが、西古見集落など地元の人たちが親身になって活動に協力している点という。「地域の協力があるからこそ成り立っている。高校生の活動を通して地域住民が身の回りのことに新たな価値を見いだすきっかけになったらいい」と石田准教授。戦争遺跡について専門家だけの研究なら一線が引かれてしまうが、「高校生の活動により地域が関心を持つようになる。先史時代の遺跡に比べ(戦争遺跡のような)近現代の遺跡は今も残っている。それを保存活用しなければならない」と提案する。
国指定史跡をはじめ瀬戸内町には多くの戦争遺跡が残る(町教育委員会は200余りの遺構を52遺跡に整理)中、町教委と連動したまちづくり研の探究活動は地域の関心を生み出しており、保存活用にも役立ちそうだ。