奄美勢の連合②、初戦突破

【1回戦・種子島中央―連合②】喜界、古仁屋を含む6校による連合チームがコールド勝ちで2回戦に進んだ=鴨池市民

九州地区高校野球大会鹿児島県予選第2日
大島はコールド負け

 【鹿児島】第155回九州地区高校野球大会鹿児島県予選第2日は24日、鹿児島市の平和リース、鴨池市民、両球場で1回戦6試合があった。

 奄美勢は連合②(川辺・串木野・薩摩中央・鶴翔・古仁屋・喜界)が種子島中央に11―4で七回コールド勝ちだった。大島は1―8で七回コールド負けだった。

 第3日は25日、両球場で1回戦6試合がある。奄美勢は徳之島がれいめいと、樟南二が池田と対戦する。

 =平和リース球場=
 ◇1回戦(第3試合)
大島
 1000000  1
 3100202X 8
川内
  (7回コールド)
【大】肥後、田中―山田大
【川】草野―里光

【大】
2431168031610
打安点振球犠盗併失残
23882270006
【川】

 【評】大島は初回、3四球を選んで二死満塁とし、6番・田畑の中前適時打で1点を先制した。その裏、3失策が絡んで3失点で逆転。その後も二、五、七回と失策が絡んで失点が続き、点差が開いた。打線は相手の左腕エース・草野から8四球を選んだが16奪三振を喫し、二回以降追加点を奪えず、コールド負けだった。

 =鴨池市民球場=
 ◇1回戦(第2試合)
連合②(川辺・串木野・薩摩中央・鶴翔・古仁屋・喜界)
 1052003 11
 0100003 4
種子島中央
  (7回コールド)
【連】山本―山口
【種】戸川―和田
 ▽三塁打 岩下(連)▽二塁打 岩下2(連)、山口2(連)、橋本2(連)
【連】
3113113411124
打安点振球犠盗併失残
27846120215
【種】

 【評】連合②は初回、3番・岩下(鶴翔)の左越二塁打で先制。二回に同点に追いつかれたが、三回表二死から2番・繁山(喜界)が内野安打で出塁し、3番・岩下の右越え二塁打を皮切りに、四球を挟んで7番・橋本主将(串木野)の中越え二塁打まで計5安打を集中し、大量5得点のビッグイニングを作った。四回には3番・岩下が3打席連続長打となる中越え2点適時二塁打で更に点差を広げた。七回には7番・橋本、8番・篭原(川辺)の連続適時打で3点をダメ押した。先発のエース山本(喜界)は丁寧に打たせてとる投球でリズムを作った。七回裏は集中打を浴びて、3失点したが、最後の打者を見逃し三振で打ち取り、コールド勝ちを決めた。

【1回戦・種子島中央―連合②】4回表連合②一死二三塁、3番・岩下の中越え三塁打で三走・川崎(右)、二走・繁山(左)が生還、8―1とする=鴨池市民

「奄美」で好機、「本土」で返す
6校連合、会心の勝利 連合②

 最北端の鶴翔がある阿久根市から、最南端の古仁屋がある瀬戸内町まで、直線距離にして約440㌔。大島、南薩、北薩の3地区にまたがる6校からなる連合②が、鮮やかな集中打でコールド勝ちした。完投したエース山本虎士朗(喜界)は「勝てたことが本当にうれしい!」と勝利の喜びをかみしめていた。

 宮元、繁山、喜界の1、2番コンビ、9番・川崎(古仁屋)、奄美の選手が出塁して好機を作り、4安打4打点と爆発した3番・岩下(鶴翔)、2本の二塁打を放った4番・山口、4打点の7番・橋本主将(串木野)ら、本土の選手が打って返して得点を挙げる。そのリードを、エース山本を中心に粘り強く守る。持ち味を随所に発揮した会心の勝利だった。

 本来なら14日からの3連休で合同練習を組むつもりだったが台風のため中止。その穴を少しでも埋めるべく、19日にはZoomでミーティングしてお互いに自己紹介をした。

 実際に顔を合わせて練習したのは開会式のあった21日の午後に約2時間のみ。22、23日は雨で順延となったが、決定が出るまで球場で待機する時間にコミュニケーションを図ったという。山本はバッテリーを組む山口とブルペンで投球練習をしたり、配球などを熱心に語り合った。古仁屋は中堅手・川崎良徳がただ1人。「自分が足手まといにならないか、心配だった」不安もあったが、右翼手・橋本主将、左翼手・松井(薩摩中央)の3人に捕手・山口の4人で、各打者の守備位置を確認するなど、積極的にコミュニケーションをとった。無安打だったが四回には先頭打者で四球を選んで出塁し、追加点のきっかけを作るなど「最低限の仕事はできた」

 やれることは極々限られていたが「9人で野球ができる喜びを味わい、思う存分楽しむ」(濱涯聡監督・串木野)ことに徹した。知り合って1週間にも満たないチームだが「勝つという目的を共有していた」(川崎)ことが勝利に結びついた。勝てたことでまたこのチームで野球ができる。エース山本は「できたことはもっとできるように、できなかったことが少しでもできるように、全力を出して次も勝ちたい」と闘志を燃やしていた。(政純一郎)