大島紬と田中一村を副題に基調講演する大矢さん
パネルディスカッションではタレントのIMALUさんら島外アーティスト4人がトークを繰り広げた
奄美大島の自然や風景を色彩豊かに描いた日本画家・田中一村の魅力を語り合うフォーラム「未来へつなぐ田中一村」が6日、奄美市名瀬のアマホームPLAZA(市民交流センター)であった。一村研究の第一人者で津和野町立安野光雅美術館館長の大矢鞆音さんが「なぜ田中一村は19年も奄美に住んで創作を続けることができたのか」をテーマに基調講演。大矢さんは「長年過ごせたのは大島紬とのうまいマッチングがあったから」と述べ、一村の奄美大島移住と大島紬の奇妙な関係性に迫った。
1958年に50歳で奄美大島に渡り、大島紬の工場で働きながら、島を主題にした花鳥画で独自の画風を確立した田中一村の魅力を共有し、街づくりなどに生かせればとフォーラム奄美24(久留ひろみ代表)が主催した。会は基調講演、パネルディスカッション、発表の3部制で、約200人が耳を傾けた。
講演で大矢さんは一村と大島紬のつながりをひもとき、「60年代、特に画家には大変な時代だった。画家は収入がなければ絵が描けない。染色工として働ける一村にとって(生計が立てられる)奄美はいい環境だったのではないか」と考察。「大島紬がなければ奄美にとどまることもなかったかもしれない」との見解を示した。
また、「当時はゴーギャンなどにひかれ(画家の間では)南へ行こうという風潮も強かった。一村にとって奄美は、生命観あふれる植生の世界を身近に描ける場所だった」と大矢さん。「奄美での19年。特に後期は骨を埋めるつもりで描いている。紬産業と豊富な植生が一村たらしめた」と訴えた。
第2部は「島外アーティストがひかれる奄美~その魅力」と題し、タレントのIMALUさん、蒔絵(まきえ)師の加藤泉さんらパネリスト4人がトーク。田中一村記念美術館でアダンの木を初めて知ったというIMALUさんは「本当にそのままの風景が描かれている。(実際にアダンを見て)変わらぬ同じ風景を見ていると想像できた」などと率直な思いを話した。
3部では、大島高校と奄美高校の美術部の生徒ら7人が、作文や書で一村やアートへの気持ちを主張した。久留代表は会後、「島外からも多くのクリエーターが来てくれ、物見遊山ではない観光地などを考えることができた。島の人が見つめ直す機会にもなれば」と話した。