大票田の鹿児島市谷山地区で交差した三反園訓氏の選挙カー(手前)と保岡宏武氏の選挙カー
27日投開票された衆院選。県内4選挙区では、与党自民党の議席確保は1議席(4区)にとどまり、立憲民主党が1区と3区で2議選を確保、2区は無所属前職が引き続き議席を獲得した。現行の小選挙区制が導入された1996年以降、自民が小選挙区の議席で半数を割ったのは初めて。事実上、前職同士の一騎打ちとなった2区で再選された三反園訓氏(66)は大票田の谷山地区がある鹿児島市2区で次点となった自民前職に大差をつけ、奄美群島では有権者数が最も多い奄美市でリードした。
県内最多の5人が争った2区の候補者別得票数(28日午前2時2分県選管確定)は、得票順で当選した三反園氏が8万397票、自民前職(比例九州)の保岡宏武氏(51)5万4847票、維新新人の辻健太郎氏(38)1万9649票、共産新人の松崎真琴氏(66)1万2255票、参政新人の矢竹ゆかり氏(61)7982票。三反園氏と保岡氏の票差は2万5550票で、得票率は三反園氏45・91%、保岡氏31・32%。
両氏の得票を市区町村別でみた場合、2区有権者数全体の4割強を占めることから「当落を左右する」として各陣営が注力した鹿児島市2区で明暗を分けた。三反園氏3万1085票、保岡氏1万7701票で、三反園氏が1万3384票の差をつけた。元知事という知名度の高さに加え、「政治とカネ」の問題で自民への反発などから都市部の無党派層のまとまった票が三反園氏に流れたとみられている。指宿市出身の三反園氏は、同市(保岡氏に8567票差)をはじめ地盤の南薩地域の全市で保岡氏を上回った。
一方、幼少期を過ごし、いずれも衆院議員を務めた祖父が宇検村出身、元法相の父親が旧奄美群島区で当選を重ねるなどのゆかりから奄美を地盤とした保岡氏。奄美では2万4378票を獲得した保岡氏がトップとなったが、三反園氏との差は7557票で、3年前の前回の自民前職の票差(1万5366票)の半分にとどまり、奄美で伸びなかった。なかでも注目したいのが奄美市の得票。保岡氏7099票、三反園氏7908票で、三反園氏の方が809票上回った。「第二の故郷奄美」を掲げた三反園氏が保岡氏の地盤を切り崩し、得票を集めた。
5人による混戦を抜け出し、保岡氏との保守分裂戦を制した三反園氏。勝因に徹底した「草の根」がある。三反園氏が「草の根は強いんです」と語った通り、こまめに各地であいさつ回り(団体などだけでなく世帯訪問も)をしたり、谷山地区では毎朝のようにつじ立ちを繰り返し、これが地域に浸透する原動力となった。「この3年間、国民が主役という思いで活動してきた。いろんな人とお会いし、奄美には国会議員として70回以上訪問している」と語ったように、奄美にも何度も足を運んだ。国会議員としての「身近さ」が奄美での支持につながった。
無所属ながら自民会派で三反園氏が活動してきたこともあり、党県連で自民公認候補を選ぶ際、所属県議の一部から三反園氏を押す声が上がるなど党内をまとめることができなかった保岡氏は、4区の自民前職の中で唯一、同じ政権与党の公明の推薦を得られなかった。選挙ポスターに「比例区は公明党」を刷り込んだ三反園氏は演説などでも比例区で公明への投票を呼び掛けることで、選挙区での公明票の取り込みを図った。ここでも明暗を分けた。
2区の衆院議員に再び選出された三反園氏。選挙運動期間中、奄美大島に来島した際、多くの支持者が集まり熱気に包まれた奄美市名瀬での街頭演説でこう主張した。「国会議員であれば誰でもいいわけではない。本当に奄美のことが分かって、奄美のみなさんのために、奄美の発展のために一生懸命働く。そういう国会議員が奄美には必要ではないか」「奄美のために思いを一つにして一生懸命働く。だからこそ奄美のみなさんのお力をお願いしたい。必ずご恩をお返しする」。今回の選挙により政権与党の自民・公明が過半数割れをし、政局は流動的な要素をはらんでいる。2区の代表である三反園氏が立ち位置を含めて国政でどのような役割を果たしていくか、奄美から注視していきたい。
なお、2区の当日有権者数は32万6604人(男15万4055人、女17万2549人)、投票者数17万8195人(男8万4971人、女9万3224人)で、投票率は54・56%(男55・16%、女54・03%)となり、前回(58・58%)を4・02ポイント下回った。奄美12市町村は全てがこの投票率を上回ったものの、全市町村が前回以下。この結果も選挙に影響を与えた。(衆院選取材班)