奄美共生プロジェクトを推進してきた奄美大島介護事業所協議会の盛谷一郎会長(左)と勝村克彦副会長
「障がいがあってもなくても楽しめるフェス」と銘打った兵庫県尼崎市のイベント「ミーツ・ザ・福祉」。たくさんの出店ブースが並び、来場者でにぎわった(奄美大島介護事業所協議会提供)
介護事業所協の盛谷会長、長谷川大副会長と共に勝村さんが視察したのは、昨年10月26日に尼崎市で開かれた「ミーツ(出会い)・ザ・福祉」というイベント。主催した実行委員会(事務局・NPO法人月と風と)のホームページによると、「障がいがあってもなくても楽しめるフェス」を掲げている。
多様なメンバーが関わり実行委をつくっており、このメッセージが印象的だ。「わたしたちの暮らすまちにはたくさんの人が住んでいて、性別も肌の色も職業も価値観もさまざまです。そして、目に見える障がい、見えない障がい、人によっていろいろな障がいがあります」「『障がいのある人』や『健常な人』ではなく、『〇〇さん』として関わることで見える世界が変わってくるかもしれません」
2017年から開催され、ピーク時は4000人の来場があったという。奄美共同プロジェクト同様、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けたが、継続して開催しており、コロナ禍後、初めての大規模開催となった23年は3000人を超える来場があった。
▽出店・発表
一行が視察した昨年の開催は8回目で、奄美市にある市民球場のような野球場を会場として使用。出店ブースとステージ発表という内容だ。「テントで仕切る形でブースを設け、約80の出店があり、どのブースもにぎわっていた。9割は障がいの事業所や施設が運営していたのではないか。発表するステージの近くなどには車いすで利用できるトイレがあり、メーカーが提供したEV(電気自動車)から電源を確保していた」と勝村さん。EV利用は環境との共生型と言えないだろうか。
盛谷さん(57)は「参加していた障がいがある方々の笑顔が印象的だった。とても生き生きとしており、『自分たちが主役』という雰囲気が伝わった」と振り返る。飲食・クラフト雑貨などの出店ブースでの販売だけでなく、ステージ発表にも障がい者の参加が見られた。「(ステージでの)出し物では音楽やダンスといったパフォーマンスだけでなく、演劇(『ミーツ・ザ・新喜劇』)もあり、大好評だった」。尼崎市は職員に吉本興業に所属していた人も採用している。こうした職員のサポートでまさに吉本新喜劇のコントが障がいがある人々によっても繰り広げられ、笑いとともに温かい拍手が送られていたという。
盛谷さんによると、名瀬市街地の3か所からスタートした街歩きイベント(奄美共生プロジェクト)で、こんなシーンがあった。「商店街でのこと。車いすの参加者の一人に、おそらくなじみのお店の店主だったと思う。『最近どうしたの?』という声掛けがあった。車いす姿を見て来店できない理由が分かったようだ。車いすでも来店できる店舗にすれば、なじみ客が再び行ける。バリアフリーを考慮した店舗にすることで障がい者だけでなく、高齢者も利用しやすくなる。シャッターが目立つ商店街に活気が戻るのでは。障がいのある方と出会い、接することで一般の人々が理解する。こうした機会をつくりたい」
▽イメージ
尼崎での視察を終えた一行は方向性を見いだした。勝村さんは説明する。「奄美市では毎年2月の最終日曜日に『学び福祉フェスタ』を開催していた。1回目は2006年だった。その後、学びと福祉が分かれ、現在は教育委員会の主催で『学び』は継続されているが、福祉の方は終了したままだ。福祉フェスタと奄美共生プロジェクトは、『共生型社会の実現』という重なる目的があり、融合し一緒になる方向にして福祉フェスタを復活できないか」
福祉フェスタは現在の奄美川商ホール(奄美振興会館)敷地内にある一万人ひろばを会場にした。尼崎の「ミーツ・ザ・福祉」のようにテントで仕切られたブースに、参加した障がい・就労支援などの事業所や施設が出店し物品を販売。「作ったものを販売するだけでなく、リハビリの専門職が来場者に施術をするといった試みもできないか。尼崎のイベントは、9割は障がい関係が出店ブースを設けていたが、地域にあるラーメン店など一般のお店も出店できるようにしてもいいのではないか。当事者、支援者だけでなく一般の皆さんが参画し、共に楽しめる空間を創出したい」(勝村さん)
イベントの再スタートに向けて介護事業所協では奄美市(担当課)に加え、医療・介護・福祉関係団体で構成する実行委員会を立ち上げた。幅広い意見を聞きながら、イベント開催・企画・運営していこうと昨年11月下旬には第1回実行委員会を開催した。(つづく)