愛着あるソテツ繰り返し防除

外来カイガラムシによるソテツ被害が奄美大島全域に拡大している中、登さんが与路島から自宅庭に移植したソテツは青々とした葉を保っている(15日午前、龍郷町玉里)
群生地だけでなく集落背後の山ののり面を覆う無数のソテツも外来カイガラムシ被害により深刻な状況にある龍郷町安木屋場集落

龍郷町玉里の登さん「恩忘れず長生きさせたい」
外来カイガラムシ被害から守る

外来カイガラムシ(和名・ソテツシロカイガラムシ)によるソテツの枯損被害は街路樹だけでなく貴重な群生地にも及び、奄美大島全域に拡大している。青々としていた葉が黄色や白に変色、こうした葉も失われ幹だけが残るなど無残な姿をさらしているが、龍郷町の民家に繰り返しての薬剤散布で被害から守られたソテツがある。「戦後の食糧難に命を救われた。その恩に報いるためにも長生きさせたい」と、所有者は愛情を注ぐ。

龍郷町の玉里地区に住む登(のぼり)敏雄さん(78)のソテツ。瀬戸内町の与路島出身で、九州電力職員として群島内などを移動したが、1992年に新興住宅地の玉里地区に住居を構えた。敷地内の手入れの行き届いた庭に植栽したソテツは25年ほど前に所有する与路島の畑から移植したもの。

登さんは戦後すぐの1946(昭和21)年生まれ。当時、与路島は「龍郷町や奄美市笠利町は他の地域に比べソテツが多いが、与路島はそれ以上に多く島内の至る所にソテツ畑があった」と話す。食糧にするためで、食した「かゆ」はソテツから採れるでんぷんを材料にしたが、「ナリ(実)を砕いて臼でひいたり、シン(胴)の部分は削り発酵させたり、水に沈下させるなどさまざまな方法で粉にした」と振り返る。

コメの代わりに「ナリがゆ」などにして食べていたのは「昭和30年頃まで。当時は与路島の世帯数は320戸もあり、約1200人が暮らしていた」と懐かしむ。コメの流通によって食糧にすることがなくなり、「昭和40~50年頃にかけては株などを韓国や中国に輸出する動きがあり、ソテツがかなり減った」。食糧という需要がなくなったことで、所有者も手入れせず放置するようになったという。

そんな思い出深い与路島から取り寄せたソテツは一つの株から複数の幹が育ち、葉は自宅の屋根近くまで伸びている。「ソテツは年数センチしか育たない。この高さまで育っていることから、おそらく樹齢400年近くではないか」と登さん。「自分たちの命を救ったもの。大切にしたい」というソテツに異変を感じたのが昨年6月頃。葉の裏側が白くなっているのに気付き、すぐにJAから薬剤を購入。6~12月と長期にわたって晴天で風のない日を選び1週間に1回など散布機を使っての防除を繰り返した。

「幹や葉、そして根っこの部分まで徹底的に薬剤を散布した。それにより葉が枯れることなく、青々とした葉を取り戻し現在に至っている。被害を食い止めたと思うが、周囲のソテツが全滅しているだけに油断できない。4月頃などこれから新芽の時期を迎える。防除を重ねたい」。登さんはソテツへの感謝の気持ちを忘れることなく、被害から守る取り組みを継続していく。