シンポジウムで与論城跡の活用方法について意見交換する参加者ら(11日、与論町)
【沖永良部】与論城跡(じょうあと)シンポジウムが11日、与論町中央公民館であった。島内外から約90人が参加。専門家が与論城跡の特徴や価値について講話したほか、これからの活用方法についてトークセッションも行われた。
与論城跡は、14~15世紀の琉球三山時代、北山王の三男・王舅(オーシャン)が築城したと伝えられている。琉球式の城郭遺跡(グスク)の北限として学術的価値が高いことから、昨年12月に国の文化審議会が国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。
シンポジウムの開催は、文化庁の国指定文化財等補助事業を活用した「町内埋蔵文化財 地域の特色ある埋蔵文化財活用事業」の一環。
講演で、國學院大學研究開発推進機構の池田榮史教授は、沖縄で見られる石積みのグスクと奄美群島に分布するグスクを比較し、「奄美群島で石積みを持つグスクはほとんどなく、与論城跡と沖永良部島の後蘭孫八グスクは特別な存在」と説明。歴史的な価値について「奄美諸島と沖縄諸島の境界にあり、琉球列島社会の大きな歴史転換を物語る重要な位置を占めている」と述べた。
日本の城から見た与論城跡の特徴を解説した、大野城心のふるさと館(福岡県大野城市)の赤司善彦館長は「与論城跡は、沖縄から敵が来ることを想定して作られている。グスク社会が進展していく中で権力争いが激化し、政治の拠点となるグスクを強固にしようとした意図が読み取れる」と語った。
同町教育委員会事務局生涯学習課の南勇輔学芸員は、与論城跡に関するこれまでの発掘調査の成果を報告。石垣の整備状況や出土物の種類などから「14世紀後半~15世紀中頃に最も利用されている」と述べた。また、15世紀後半~16世紀は、遺構が確認できず、急激に遺物量が減少しているとした。
シンポジウム後半は、「地域の文化遺産としての城跡」をテーマに、全国各地にある歴史文化施設や展示物の例を挙げながら、与論城跡の活用方法について意見交換した。参加者からは「城跡のどこを歩いているかわかるように城跡内に案内図を整備したり、復元模型の展示があったりするとよい」「インバウンド客を意識して外国語表記の説明板が必要では」「自由に散策できる場所と、遺跡をそのまま残してガイドが案内する場所を分けると面白い」などの意見が出た。