伊仙町「才上遺跡」で確認された奄美・沖縄地域で最古(貝塚時代後期末)の鉄製農具(同町教委提供)
伊仙町「才上遺跡」の位置(同町教委提供)
【徳之島】伊仙町教育委員会は19日、2020年度から発掘調査していた同町古里の「才上(さがみ)遺跡」(貝塚時代後期末~)で、「奄美・沖縄地域で最古の鉄製農具」を確認したと発表した。本格的な農耕が始まるグスク時代(11世紀後半~15世紀)の前に「徳之島では鉄製農具で台地を開墾して農業を始めていた可能性」を指摘。同遺跡発掘調査報告書(来月発刊)で詳解する。
同町教委によると埋蔵文化財の一つ「才上遺跡」は、同町大字古里字才上の標高95㍍前後の石灰岩台地に位置。畑地帯総合整備事業に伴う緊急埋蔵文化財発掘調査事業で20年7月から調査。これまで貝塚時代・グスク時代・琉球王朝時代に関わる多種多様な遺物を確認。台地内の谷地が切り開かれ造成されるなど、水田地や居住域としての利用、土地開発の変遷も確認している。
鉄製品が見つかった層は、貝塚時代後期末(10~11世紀初頭)の土層。同じ層からは当時の土器(兼久式土器)とともに、アワ・オオムギ・コムギなど穀物類も確認。放射性炭素年代測定の結果「10世紀後半~11世紀初頭」。その貝塚時代後期末に徳之島で生産された穀物である可能性を確認。谷底には排水用と見られる溝もあり、同鉄製品で掘削した可能性も否定できないと指摘する。
同鉄製品はU字型で長さ10・5㌢、幅8・7㌢。鋤(すき)や鍬(くわ)の先に装着したと見られ、U字の内側には装着するためのV字の溝が掘られ「日本本土の技術による」。鉄製の鋤は沖縄諸島の「グスク時代遺跡」からは確認例があるが、貝塚時代後期末にさかのぼる鉄製鋤や鍬は才上遺跡が初の事例になるという。
これらの状況から町教委(学芸員ら)はあらためて「本格的な農耕が始まるグスク時代より前に、徳之島では鉄製農具で台地を開墾し、農耕を始めていたことが分かる。確実に貝塚時代後期末にさかのぼる鉄製の鋤または鍬の確認は奄美・沖縄地域で初」。
さらに同事例は「奄美・沖縄地域における農耕文化の形成・展開過程を解明する上で重要な事例の一つ」であるとともに、「農業が主産業である伊仙町のルーツが垣間見える事例とも言えそう」としている。