【東京】15代目の奄美市東京事務所の重信竜昇所長が、この3月で退任する。これまで14人赴任した中で2度にわたって奄美と東京の架け橋として、重責を務めたのは初めて(9代目は所長心得)のこと。千代田区平河町の日本都市会館5階の同事務所で東京奄美会への思いなどを伺う前編。(東京支局・高田賢一)
奄美群島日本復帰50周年と70周年の節目での赴任。
「最初は2004(平成16)年4月から06年3月まで。旧名瀬市時代に赴任し奄美市になったのと同時に戻りました。そして22(令和4)年からこれまで。今回は復帰70周年をこちらで迎えた。たまたまですが、節目を所長として務められたのは喜ばしいことです。正直、まさか2度目はないだろうとは思っておりましたが(笑)」
感じた環境の変化。離島を思い党派を超えた応援に感謝。
「初回は奄美振興法の延長、自立的発展を目指すため、どうしたらいいのか離島のハンディを解消するために模索していた状況だった。復帰70周年の今回は、特に沖永良部や与論など地理的に身近な『沖縄との連携』が盛り込まれたのはいいことだと感じます。自民党・公明党を主体とした県選出国会議員の党派を超えた応援もありがたいですね」
東京と奄美の距離感接近も実感。「田中一村展」に感激。
「復帰50周年式典で多くの東京奄美会の関係者に接しました。皆さん、昔のことを本当によく知っているのには驚きました。郷友会には最初も頻繁に顔を出しましたが、今の半分程度。今回は13の郷友会はじめ、校区会やさまざまな会合の案内があり、なかなか休ませてくれませんでしたね(笑)。奄振関係の要望活動も増え、同行する機会も増えました。今回は単身赴任(前回は妻の千草さんと)でもありましたし、LCC(格安航空会社)などで奄美が近くなったことも背景にはあるでしょう。毎月、第一月曜日に鹿児島県・市の事務所長と奄美市の所長として情報交換。これも前回にはなかった驚きです。県人会との連携もできています。昨年のイベントで印象深いのは『田中一村展』。東京都美術館の1階から3階を使って連日たくさんの人で大行列に。30万人近くの人が集まったのもとてもうれしいニュースでしたね」
(しげのぶ・りゅうしょう)1964年、鹿児島市生まれ。名瀬市立伊津部小学校、鹿児島市立明和中学校、県立大島高校卒。90年、市民課に採用。観光課、保健予防課(国保介護課)、東京事務所、商工水産課、農業研究センター、選挙管理委員会事務局、議会事務局、教育委員会事務局、東京事務所には2004年と22年に就任。3月、役職定年。龍郷町出身の妻、1男(3月に中学校卒業、4月から大島高校へ)