自ら撮影した写真を基に奄美のノロ祭祀を語る高橋一郎さん(5日、奄美市名瀬の奄美図書館)
奄美郷土研究会(山岡英世(ひでつぐ)代表世話人)は5日、奄美市名瀬の県立奄美図書館で第379回例会を開いた。奄美のノロ祭祀(さいし)に関する研究を45年にわたり続けている同市在住の高橋一郎さんが「1980年以降の祭祀に立ち会って」と題し講演。奄美大島北部と西部で大きく異なる儀礼の様式などについて解説した。約60人が聴講し、現在ではほとんど行われなくなった祭祀の実態と本質を学んだ。
奄美のノロ祭祀は、集落の繁栄や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る神事で、「ノロ」と呼ばれる神女が主宰し執り行う。15世紀中頃、琉球王朝の統治下に導入されたと伝えられている。
高橋さんは、奄美大島のノロ祭祀を研究するため80年に奄美大島に移住。当時は、祭祀に部外者がかかわることを拒んでいた時代。各集落の祭祀に参加する形で徐々に人間関係を築き研究につなげてきたという。
混同されることの多いノロとユタの違いについて高橋さんは、「ノロは他者のために祈る人。共同体(シマ)の司祭者」「ユタは個人や家族の安泰と繁栄を祈る宗教的職能者(シャーマン)」と解説。
ノロ祭祀には、一般的に知られている農耕儀礼(アラホバナ・ミニャクチ・フュウンナ)のほかに、カミの送迎儀礼(ウムケ・オホリ)、防災儀礼の三つがあると説明した。
宇検村阿室集落で行われていたと記録のある火事を祓(はら)うため牛を引き回し集落で食べる習わしや、流行(はやり)病を集落から追い出す儀式なども紹介した。
歴史的には、藩政下で名瀬を境に北部と西部(大和村以南)で変化が生じ、北部の祭祀ではトネヤ(祭祀用の建物)のみが使われるようになったと話した。
1982年から2006年までに撮影した各集落の祭祀の写真も紹介し、集落ごとの異なる儀礼の流れや、儀式に欠かせないミキの作り方の違いなども解説した。
奄美市笠利町の奄美群島地域通訳案内士、川上正人さん(55)は「笠利で60~70代の人に聴いてもノロのごとはほとんど知らない。長年研究している人の話を聞き、貴重な写真に触れることができた。奄美の民俗的なことを旅行者に説明できるよう、これからも勉強していきたい」と話した。
高橋さんは今後、研究を取りまとめ、発表につなげたいという。