伊仙町で第58回戦艦大和慰霊祭

悲劇から80年。約150人が参列した「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」=8日、伊仙町犬田布岬

献花して冥福を祈った参列者たち

戦争の悲惨さ、平和の尊さ後世へ
悲劇から80年 変わらぬ慰霊・恒久平和の祈り

 【徳之島】第58回「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」(同実行委員会主催)が8日午後、慰霊塔のある伊仙町犬田布岬であった。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月7日、沖縄への海上特攻「天一号作戦」出撃の途上に撃沈され4044人が戦死した悲劇から80年。変わらぬ慰霊の祈りを捧げ、恒久平和の誓いも新たにした。

 旧日本海軍第二艦隊の戦艦「大和」(7万2809㌧)を旗艦とする巡洋艦「矢矧(やはぎ)」など計10隻は1945(昭和20)年4月6日、同特攻作戦で山口県徳山港沖を出撃。南下中の坊ノ岬沖で7日午後、米海軍機動部隊の激烈な空襲で大和をはじめ巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風・浜風・霞・朝霜の計6隻が沈没。戦死は「4044人」とされている。

 戦後の1968(昭和43)年、遺族や元軍人ら含む全国募金で、生存者の証言などで「沈没地点に最短」とされた徳之島(犬田布岬)に慰霊塔を建立。設計・デザインは彫刻家中村晋也氏が担当。鉄筋コンクリート製で高さは大和の艦橋から海面(喫水線)までと同じ24㍍。碑銘板の揮毫(きごう)は高松宮殿下が執られた。全国募金で2010年と23年度の2回、修復工事を実施。「平和希求のシンボル」にも位置付け実行委主催で慰霊祭を継続している。

 第58回慰霊祭には島内外の来賓や自衛隊関係者、住民など約150人が参列し、地元の西犬田布女性連会員らの慰霊の舞い「ああ犬田布岬」で午後2時前に開式。慰霊の神事の中では「大和」の「沈没時間午後2時23分」に合わせて全員で黙とうを捧げた。

 実行委員長の大久保明伊仙町長は慰霊の言葉で、大和など同艦隊が壮絶な最後を迎えて80年を経たが「犠牲者たちが託した戦争の悲劇と平和の尊さを忘れてはならない。英霊の思いと遺志を胸に刻み、慰霊祭は今後も継承していきたい」との決意も報告。

 続いて海上自衛隊第1航空群(鹿屋)の大西哲司令(海将補)が、現在の日本の平和と繁栄がその尊い犠牲の上に成り立ち、徳之島の人々が慰霊塔を建立して慰霊祭を継続していることに感謝。中国の軍事活動、北朝鮮のミサイル開発やロシアのウクライナ侵攻、極東における中露の活動にも触れ、「日本の平和と独立を守る」との決意も示した。

 来賓らの玉串拝礼に続き、参列者全員で白菊を献花して合掌し同艦隊戦没者たちの冥福を祈った。

 参列者の中には、駆逐艦「磯風」軍医長だった生存者の1人・山中寛三氏(享年101歳)=愛知県碧南市出身=の自著『私の身辺雑記帖』の献本も兼ねた杉浦秀延さん(65)=同市=の姿も。「(著書は)語り手が大先輩の山中先生の思いを代弁する場面から始まる。ふだんは戦時中の話をしなかった。戦友が目の前で亡くなっていく姿が辛すぎたのだろうと推測。二度とこのようなことが起きてはいけないと、後世に伝えたかったと思う」と話した。