激しい戦闘痕跡示す

加計呂麻島の二つの戦争遺跡で行われた無人機レーザー計測・解析による成果が発表された

無人機レーザー計測 立体図で19か所爆弾跡把握
瀬戸内町教委発表 
瀬相・大島防備隊本部跡 戦後80

 瀬戸内町教育委員会(埋蔵文化財センター)は9日、きゅら島交流館でヤマハ発動機㈱の協力で、加計呂麻島にある2か所の戦争遺跡で行った無人機(ドローン)によるレーザー計測成果発表会を開いた。80年前の1945(昭和20)年4月、瀬相(せそう)湾では大島輸送隊(輸送艦)と米軍機による激しい戦闘が行われたとされるが、計測データで作成した立体図(三次元)により19か所に及ぶ爆弾痕(あと)が把握された。

 発表会には町役場職員や一般住民など約60人が出席。まずヤマハ発動機が無人機を使った計測の概要を説明。それによると通常は300㍍以上の高さを飛行するが、160㍍以下と低くゆっくり飛行(瀬相・安脚場(あんきゃば)の2エリアを計6時間)し、上空からレーザーを照射。「葉や木の幹をすり抜け、草の下までレーザーが届き、それにより樹木などが取り除かれた戦争遺跡の地形構造(CS立体図)が明らかになった」と説明した。

 二つの戦争遺跡のレーザー計測・解析による成果を町教委埋蔵文化財担当の鼎(かなえ)丈太郎主査が報告。安脚場砲台跡については▽貯水池の溝、軍道の鮮明化▽山に平場を造っており、この平らな地形場所がカネンテ砲台と考察▽排水システムの存在▽機銃跡、探照灯(たんしょうとう)などの確認―のほか、「軍道に穴が確認でき、隠れて敵に対し攻撃する、いわゆる『タコ壺壕(ごう)』(1人だけ入れる壕)ではないか」と指摘した。

 瀬相の大島防備隊本部跡については新たに判明したことを説明。海軍の本部だが、「尾根筋には機銃の陣地跡があり、陣地をたくさん設置している。また、大きめの穴は爆弾の痕で、19か所確認された。山の上に造られた機銃陣地に向かって米軍機が攻撃したのではないか。戦争の痕跡がCS立体図によってはっきりと分かる」と述べた。

 こうした戦争遺跡など近代遺跡が奄美大島に多く残る理由について、鼎主査は①奄美大島の位置が航路的に良かった②当時の地政学的に重要な場所(周辺国に近い)③大島海峡の地形が天然の良港だった(現在も国際避難港)④生活圏から遠い場所が多く、容易に行くことができなかったため壊されなかった⑤戦後米軍統治下にあったため、壊されなかった可能性が高い―を挙げた。

 成果発表会では、この無人機レーザー計測が地形把握や遺跡調査にとどまらず、森林や道路の管理、防災、地籍調査、観光、メタバース(仮想空間)での活用など多様な分野で有効な技術であることが説明された。