笑顔がすてきな田路真由美さん
奄美市名瀬入舟町でパートナーの岩切健さんとスペイン居酒屋「ティダ パライソ」を営む田路(たじ)真由美さん(51)。お店の5周年を記念し今月22日、フラメンコライブを名瀬のロードハウスASIVIで開催する。本人は京都出身、母方の祖父母のシマ(出身地)は同市笠利町用、幼い頃に訪れていた奄美にいつか住んでみたいと思っていた。
田路さんは、奄美に来るまでは神戸で44年続いたタブラオ(フラメンコのライブハウス)「ロスヒターノス」で20年ステージを飾っていた。19歳にフラメンコに出会い、阿藤久子さんに学び続けながら、スペインへ留学、何度も渡西を重ね研さんを積んだ。パートナーの岩切さんも奄美2世、「いつか、奄美に住んでみたい」二人の思いが重なった。岩切さんは二人で移住の1年前に奄美に入り、奄美で仕事をしながら、準備を進めた。「店のご近所様やお客様、生徒さん、周囲の方々に恵まれ、奄美生活に悩むこともなく今があります」。奄美に自然に溶け込んだ。
田路さんは奄美でフラメンコ指導を始めて4年になる。
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幼い頃から、クラシックバレエ、日舞を習い、そしてフラメンコへ。フラメンコに憧れたきっかけは高校生の時に見た「ウイスキーⅩ・O」のCMでカスタネットの響きと共に踊るバイラオーレス(踊り手)たちの姿だった。
神戸の大学に進んだのをきっかけに、フラメンコも学び始める。当時学生の身にとっては、スタートにお金が掛かる(靴やカスタネット、衣裳)ことを知り、夏休みを使ってバイトで資金を準備する。同期に同年代が4人いて、切磋琢磨(せっさたくま)した。こうしてスタジオ講師となり働きながら、資金をため、本場スペインセビージャを目指した。ファミリアファルーコ、フォアキン・ルイス、マヌエル・ベタンソ氏らに師事した。
「小さい頃から踊りを習っていたのは母の影響です。祖父が三味線を弾いてシマ唄を唄っていたことが影響していると思います。幼い頃、奄美の祖父母の家に遊びに行くと祖父が三味線を弾き、シマ唄を唄い『踊れ、踊れ』と言われながら育ちました」
「初めてフラメンコのフィンデフィエスタ(ステージの最後に、一人一人出てきて、短く踊る)を見た時に、奄美の光景と同じだと思いました。母はよく『芸は身を助く』と言って踊りを学ぶことをいつも応援してくれました。私が踊ることが好きなのも、きっと奄美の血があるからなのではと思っています」
「ファミリアファルーコらの踊りを初めて見たのが、初めてのスペイン留学を終え、日本に帰る直前でした。あまりの衝撃にこの1年なにをしてたんだろうか?と悔しくて泣いた記憶があります。日本に帰ってすぐに、次のスペインでは、必ずファミリアファルーコに習う!と心に決めました」。当時の田路さんの熱い思いが伝わってくる言葉だった。
ライブチケットは告知2週間で完売した。
(屋宮秀美)