瀬戸内、伊仙の国史跡追加指定

瀬戸内町の戦争遺跡など近代遺跡で国指定史跡の追加指定が答申された、上から大島防備隊本部跡 遠景(瀬戸内町提供)、第18震洋隊基地跡の第5格納壕跡(復元震洋艇)=瀬戸内町提供=、大島需品支庫跡の水溜跡(瀬戸内町提供)

国指定天然記念物として追加指定が答申された義名山の森の遠景(伊仙町提供)

戦争遺跡は 明治~終戦間際の歴史伝える
国の文化審答申 戦闘や特攻示す施設も

 国の文化審議会(島谷弘幸会長)は20日、国指定文化財に関する答申を行った。奄美関係では瀬戸内町の戦争遺跡など近代遺跡と伊仙町の天然記念物で追加指定があった。このうち瀬戸内町の遺跡は大島海峡に残る旧陸軍・海軍の施設を通し明治期~終戦(太平洋戦争)間際の歴史を伝え、戦後80年を迎えた中、改めて平和を考える機会となりそう。

 瀬戸内町の国指定史跡の追加は、2023年3月20日に指定(登録)された奄美大島要塞(ようさい)跡に、1941(昭和16)年配備の海軍大島根拠地隊から発展した大島防備隊の本部跡(加計呂麻島瀬相)、44(同19)年に編入した第18震洋(しんよう)隊基地跡(同呑之浦(のみのうら))、1895(明治28)年に久慈集落に設置された海軍施設の大島需品支庫跡の水溜(みずため)跡等を追加。これにより国指定史跡は名称変更され、「奄美大島要塞跡及び大島防備隊跡 附(つけたり) 大島需品支庫跡」となる。

 町教育委員会(埋蔵文化財センター)によると、追加により構成する遺跡数は、これまでの西古見砲台跡・安脚場砲台跡・手安弾薬庫跡に今回の3遺跡が加わり計6遺跡となる。今回の3遺跡について埋蔵文化財担当の鼎(かなえ)丈太郎主査は「もともと6遺跡で指定を目指したが、今回の3遺跡が民有地の関係で同意を得る手続きから追加指定となった」と説明する。

 追加指定のうち加計呂麻島にある戦争遺跡の大島防備隊本部跡は、今年3月、ヤマハ発動機㈱の協力で無人機(ドローン)によるレーザー計測が行われた。80年前の1945(昭和20)年4月、瀬相湾では大島輸送隊(輸送艦)と米軍機による激しい戦闘が行われたとされるが、同本部跡の計測データで作成した立体図(三次元)により19か所に及ぶ爆弾痕(こん)が把握され、「山の上に造られた機銃陣地に向かって米軍機が攻撃した」と推測されている。こうしたドローン調査の成果が評価され、追加指定につながったとみられている。また、特攻跡(大島防備隊の第18震洋隊基地跡)が国史跡に指定されることにも注目。同隊は終戦前年の44年11月に着任し、特攻艇「震洋」が50~55艇配備されたとされている。

 3遺跡が国史跡として追加され、6遺跡で構成する戦争遺跡など近代遺跡について鼎主査は「旧海軍が設置した明治期の施設から始まり、終戦間際まで一連の歴史の流れ(戦況の変遷)を伝える施設。東アジア情勢の荒波にもまれながら国の施設が大島海峡に整備された。戦後80年が経過し戦争を知る人による伝承が難しい中、古仁屋高校生の取り組みのように戦争を伝える遺跡を活用していただきたい」と語った。

 伊仙町の徳之島明眼(みょうがん)の森は、2013年3月27日に国指定天然記念物となった。義名山(ぎなやま)の森の追加により名称は「徳之島明眼の森・義名山の森琉球石灰岩地森林植物群落(ぐんらく)」に変更される。同町教委によると、アマミアラカシ群落を中心とする自然林で、追加指定の義名山の森は、水源地として水神(すいじん)がまつられるなど神聖な場所として守られてきた。出現種数が豊富で絶滅危惧種や希少種も多数生育しているという。