満州での疎開経験や帰国後の奄美での生活を振り返った丸田卯禮男さん

同窓生らが集う会員文集に寄せた幼少期の戦争体験を伝えた宮山紘一さん
2025年度奄美市生涯学習講座「戦後80年を学ぶ」(花井恒三さん主宰)の第3回講座が5日、同市名瀬のアマホームPLAZA(市民交流センター)であった。ともに1939(昭和14)年生まれで同市名瀬在住の丸田卯禮男(うれお)さん(85)と宮山紘一さん(86)が講話。幼少期の記憶や父、祖父が残した記録を基に、それぞれが歩んだ戦前と戦後の経験談を受講生ら約50人に伝えた。
丸田さんは南満州鉄道(満鉄)に勤めた父(名瀬大熊出身)が港湾整備で携わった北朝鮮北東部の羅津(らしん)生まれ。戦禍に遭った満州(中国東北地方)での各疎開地について、爆撃による森や防空壕(ごう)への避難、終戦後、大連から米軍LST(戦車揚陸艦)などで長崎、広島を経て名瀬へと帰国した経緯を報告。丸田さんは帰島後を振り返り、「(疎開で)あちこちにいたが、私たちを懐かしんで迎え入れた。人はつながりが大事。島の癒やし、信頼し合う気持ちを後進たちに教えていきたい」と話した。
宮山さんは自身が編集を務めた、38年度生まれの同窓生が集う「常夏会」が制作した会員文集『蘇鉄(そてつ)の花咲きくれば…』(2023年発行)を朗読。1944(昭和19)年、米軍が南西諸島を攻撃した「10・10空襲」による疎開先の十島村中之島での様子など、父と祖父が残した記録書や手紙の引用を基に自身が寄せた記憶の一節を報告。戦中に迎えた国民学校の入学式や始業式、戦後に引き揚げた困窮する天城町村岡前での生活が記され、「戦前を過ごした子ども目線の体験を、今の子どもたちに伝えられたら」と思いを述べた。
講座は全16回。第4回目(7月19日)は、瀬戸内町渡連出身の湊ムツ子さんらが登壇予定。加計呂麻島などでの戦前、戦後の体験談などが島口(奄美の方言)で語られる。
申し込み、問い合わせはアマホームPLAZA電話0997・52・1816へ。