自衛隊機墜落事故63年

自衛隊機墜落事故による13人の犠牲者を追悼した慰霊式典(7日、奄美市の名瀬小学校体育館)

慰霊碑「くれないの塔」で献花する海上自衛隊員ら(7日、奄美市名瀬のらんかん山)

「記憶風化させず、後世へ」
「くれないの塔」慰霊式典 名瀬

 1962年9月、急患用血液を輸送する自衛隊機が墜落した奄美市名瀬で7日、犠牲者13人を悼む慰霊式典があった。奄美大島青年会議所(JC)の主催で、福島幸樹JC理事長は「(事故の歴史を)つないでいくために、1年に1回の慰霊式典で悲惨な事故を風化させないことを再確認し、一日一日を歩んで行かないといけない」と呼び掛けた。

 同年9月3日午後4時55分頃、海上自衛隊第1航空隊(鹿屋航空基地)所属のP2V―7対潜哨戒機が妊婦への輸血用血液を奄美大島へ向け空輸中、らんかん山で墜落。乗員の自衛官12人と住民1人が死亡。荒天の中、名瀬港埠頭への投下を目指し、低空で旋回中に起きた事故だった。

 式典は名瀬小学校体育館であり、自衛隊員、地元関係者や住民ら約50人が参列。P―1哨戒機による名瀬上空での慰霊飛行後に営まれた。式典後には、らんかん山に建立された慰霊碑「くれないの塔」へJC会員や自衛隊員ら有志が移動。鎮魂の思いを込め、祈りをささげた。

 追悼の辞では、安田壮平奄美市長が「くれないの塔の下に眠る隊員12人の崇高な魂と不慮の犠牲になられた市民の御霊に対し、ご冥福を祈る。人命救助に殉じた使命感、離島医療に貢献する責任感はわれわれに託された、島民が安心して暮らせる島づくりという大きな命題に通じる。市が『献血の日』と制定した9月3日を通じて、記憶を風化させず、感謝の意を後世へとつなげていく」と誓いを述べた。

 海自第1航空群司令の大西哲海将補は「事故機の災害派遣という任務を『美しい人道的行為』としてたたえ、慰霊碑を建立し、維持、整備されていることを私たちは決して忘れない。凄惨な事故を繰り返すことがないよう、いかなる事態にも即応できる部隊を目指し、期待に応えていく」と決意した。