笑顔の晨原光雄さん。「当面の目標は120歳。そしてテレビのニュースに出ること」だという(18日、大和村社会福祉協議会)
「長生きしたいなあ。長生きしてテレビに出たいなあ」――。人懐こい笑顔で饒舌(じょうぜつ)に語るのは、9月1日に100歳の誕生日を迎えた大和村国直のご長寿、晨原(あさはら)光雄さん。
晨原さんが生まれた大正14(1925)年は、ラジオ放送が始まり、「大正ロマン」と呼ばれる大衆文化が花開いたとされる年。しかし、少年時代を迎えた昭和初期には、戦争(31年満州事変、41年太平洋戦争)が間近にあった。
義務教育(尋常小学校)を終え、高等小学校へ進学。「25銭の月謝を払って勉強していた」(晨原さん)といい、都会への憧れも強かったと話す。
軍に関われることは名誉だったとされる頃。「都会に行けるから」と自ら手を上げ、選ばれた数人が福岡の炭鉱で働いた。
エレベーターで坑道に入り、つるはしを使って石炭の採掘作業に従事する日々。体が小さかった晨原さんにとって、つらい作業だったと想像されるが、その頃の不満を口にすることはなかった。
笑顔で話していた晨原さんが顔を曇らす場面があった。一緒に炭鉱に行った同郷の後輩が落盤事故で命を落としたという。15歳か16歳かの少年。その少年の名前を何度も口にし、「忘れられない」と涙をにじませた。
その後、島に戻り24歳で結婚。農業に従事し、ダイコンやニンジンを売って生計を立てた。デイサービスに通い始める約2年前まで畑仕事を続けたという。
現在は、生まれ育った集落で一人暮らし。「寂しくないよ。近くに住む息子の嫁が、ご飯を差し入れてくれる。不自由なく暮らしてる」とにこやかな表情で話す。
決まった時間に起きて体を動かす。酒・たばこはしない。大和村社会福祉協議会が運営する同村戸円のデイサービスに週5日通い規則正しい毎日を送る。それが長生きのコツと話した。
社協の担当者は 「職員も利用者も夏ばて気味だったのに、最年長の光雄兄(にい)が一番元気だった。いつも周りを笑わせ、楽しくしてくれる頼りがいのある大先輩」と語った。

