2024年3月早朝、沖永良部島笠石海岸で取材した日米共同演習での一枚。左下は米海兵隊員。右は報道陣と取材を受ける地元住民。この平和は果たしていつまで続くのか(画像は一部加工しています)
マスメディアが夏季に一斉に取り組む戦争報道、通称「8月ジャーナリズム」。戦後80年の今年も全国の報道機関が「戦争と平和」を主題に、先の大戦の戦没者を悼み、平和を祈念。弊紙も地元奄美の先人たちに祈りをささげ、恒久平和への願いを報道に込めた。しかし、昨今の安全保障環境を踏まえると、ある矛盾を抱かざるを得ない、偏りが見られる報道になっていなかったか、自責の念に駆られた今夏となった。もともと揶揄(やゆ)する声も一部聞かれる、メディアが作り上げた夏季に限定する戦争報道について、意義や課題、今後の在り方を考えた。
今年7月、弊社が加盟するポータルサイトで配信されたある取材記事に対して、このようなコメントがあった。「台湾有事が起きたら沖縄も巻き込まれる」「こんな記事が役立つのかマスコミは性根を据えてほしい」。空襲や爆風を受けた経験も書かれ、おそらく戦中を経験した80歳代の方と思われる書き込みだったが、匿名だから記せた「本音」だろうと受け止めた。
該当記事は戦中体験者らを講師に招き、近現代の戦史を学びながら戦後80年を振り返るとする、ある市民講座を取り上げたもの。先の大戦の戦禍の様子や戦争被害についての体験談が語られ、約60人の聴講者が参加していた。
講座は「イデオロギーは持ち込まない」とする主宰者の意向が反映され、記事でも「戦争から平和の尊さを学ぶ」など、言質のない修飾表現を排して紹介。しかし、ネット上の一部閲覧者には、その趣旨が正しく伝えきれなかった。
コメントには「マスコミは」とあり、サイト上の記事全般、時期を踏まえれば戦争報道が増え始める「8月ジャーナリズム」への指摘と考えた。史実の裏付けは要するも、公の場で言語化された原体験として伝えたが、おそらく「反戦」などを訴える記事と解釈されたのだろう。また、講座に登壇した戦時下を生きた同世代に対する、何か逡巡(しゅんじゅん)を重ねた思いもあったのかと勝手な想像も巡らせた。
報道とは人間の営みに伴う人為であり、その情報全てが主観による作業から生まれると考える。ゆえに商業メディアの記者たちは客観性を持たせるべく、「二項対立」の設定や「両論併記」などの手法を駆使して中立の担保に努める。しかし、二項、両論の主題設定もあくまでも人為により、客観を装った主張、俗に言う偏向報道も生まれやすいことを自覚しなければならない。
「8月ジャーナリズム」には、本来並立にはできない「戦争(具体)」と「平和(抽象)」の二項対立が見られる。言い方を変えれば、戦争の概念、平和の定義が共有されていない比較であり、さらに弊紙を含むマスコミの多くが戦争被害者のナラティブ(物語)を伝え、これまで「平和とは戦争がない世界」と定義する情報を結果的に生み続けたかもしれない。
確かに、恒久平和への訴えは人類共通の願いには違いない。しかし、報道としてみると、概念上の一平和論を伝えていることになり、対する現在の安全保障問題を巡る、通年の報道との整合性は決して取れているとは言えない。
平和とは何か。報道記者の立場で答えるならば、戦争と暴力がない世界だけを指すのではないと伝えるしかない。そして、今、私たちが日々享受している平和とは何かと問われたら、敗戦後80年続いた「与えられた平和」と表現したい。
先の講座の別回で登壇したある戦中体験者は「幼少時の記憶にイデオロギーはない」と話したが、記者こそイデオロギーに陥らないリアリズムに徹し、戦争の継承活動を時折手伝う傍観者ではない、この国の当事者として、報道に携わるべきだと考える。そして、当事者の報道とは、戦前から地続きの安全保障環境について、8月だけで終わらせない、「戦争と平和」に代わる新たな問題提起にあるのではないか。
私はその一つとして、「戦後、敗戦から続く80年の平和は私たちの平和と言えるのか、戦前の平和との違いはないのか、これが将来も継続すべき平和の形なのか」と平和の在り方そのものを問うてみたい。
安易な二項対立を疑い、両論併記で思考を止めず、中立を隠れみのにしない「真の平和」を追求し、過去の一時期を取り上げ続ける戦争報道ならぬ、将来の安全保障も見据えた平和報道とも呼べる取材を目指しつつ。
戦後は続くよ、どこまでも。戦後は続くよ、奄美でも。与えられた平和とともに。 (西直人)

