岡田家親族が美術講演会

千葉時代の一村について語る岡田家の(奥右から)正躬さん、正思さん、はる美さん

千葉時代作品や心境振り返る
一村美術館

 県奄美パーク・田中一村記念美術館主催の美術講演会「千葉の岡田家と田中一村」が5日、奄美市笠利町の同園奄美の郷レクチャールームであった。かつて最大の支援者だった故・岡田藤助(とうすけ)氏と一村の関係について、当時を知る親族が講演。千葉時代の一村の作品や心境を振り返った。

 藤助氏は、国立千葉療養所の所長などを務めた医師で、一村を物心両面で支えた人物。奄美移住後の1960年、いったん千葉に帰郷した際には、岡田家が暮らす所長官舎に居候。藤助氏が勧める見合いが破談する61年までを過ごした。

 講演会は、中高生時代に官舎で一緒に過ごした岡田家の三男・正躬さん(84)、四男・正思さん(78)とその妻・はる美さん(73)を招いて、宮崎緑園長、上原直哉学芸専門員と当時を語り合った。父・藤助氏の支援について正躬さんは、「50年たったら売れると話していた。ただ、母の清子は不満そうだった」と日記に記された裏話などを披露。一村については「非常に純粋。ただ、人とは違う奇人だった」と話すなど、会場の笑いを誘っていた。

 正思さんは、藤助氏が用立てた大金を一年足らずで使い果たし、再び千葉で過ごした一村について「絵を売りながら(奄美で)やっていけると思っていた節がある。考えが甘く、帰ってきた」と指摘。ただ、お見合いの破談については「相手に恥をかかせることで、藤助はあきれて絶縁状態になった」とてん末を明かし、「千葉と縁を切らなければ甘えてしまう。全部を自分でやるという(一村の)決意だった」と推し量った。

 奄美で描き続けた画風については「描き込み過ぎという意見もあるが、今思えば一村がやりたかったこと」と推察。「誰の制約も受けずに研究をしてきた奄美。一番幸せだったのでは」と察していた。

 岡田家が保管してきた作品は、ほぼ全てを同館に寄託。現在開催中の秋の常設展では、同家に伝わる作品27点を一堂に展示している。12月26日まで。