戦後80年「徳之島に残る戦争の記憶を未来へ」

中学生世代も登壇した戦後80年講演会「徳之島に残る戦争の記憶」のパネル討議=18日、天城町防災センター

 

 

特攻隊員などの〝遺書・絶筆〟が綴られた「多賀屋」宿泊台帳(コピー)

 

 

戦争体験継承の意義を考える
天城町で講演会・パネル討議

 

 【天城町】戦後80年記念講演会「徳之島に残る戦争の記憶」(天城町教育委員会主催)が18日、同町防災センターで開かれた。中学生を含む幅広い世代の約120人が参加。太平洋戦争末期の奄美守備隊司令部の徳之島(天城町)移転、特攻隊員たちの遺書的要素を帯びた一級史料の「多賀屋旅館」(同町平土野)宿帳についてなど戦史研究家らの講演、パネルディスカッションなどを通じ、戦争の記憶と平和の尊さ伝承の大切さを考えた。

 戦争体験者の多くが世を去る中、戦争の実相をどう次の世代に伝えるか―を直視して計画した講演会。

 第1部「奄美群島における太平洋戦争」で、瀬戸内町埋蔵文化財センターの鼎(かなえ)丈太郎氏は、大正期に築かれた「奄美大島要塞」や、米潜水艦からの海峡防備のための聴音施設(ソナー)などの遺構を紹介。太平洋戦争末期には、陸軍が港よりも飛行場を重視し、司令部を徳之島の浅間陸軍飛行場に移した経緯を説明。2023年3月に奄美大島要塞跡が国の史跡に指定されたことに触れ、「戦争遺跡の保全と調査は、戦争の記憶を記録として残す貴重な機会」とも強調した。

 奄美群島の先史時代研究でもおなじみの長野県松本市役所の菊池保夫氏は、「多賀屋旅館の宿帳について」講演。浅間飛行場から沖縄へ出撃した兵士たちが宿泊したとされる旅館の宿帳(299人分)=現在は知覧特攻平和会館所蔵=を分析し、戦時中の島の役割を明らかにした。

 宿帳には陸軍約70%、海軍約30%の名が記され、著名な軍人の署名も残る。これは宿帳が1945(昭和20)年2月で途絶えており、空襲激化により宿泊が不可能になったためと推測。その上で菊池氏は「宿帳は、島が果たした歴史的役割を示す〝島の宝〟であり、破棄されず残された背景には当時の旅館主の強い思いがあった」とも語った。

 第2部「終戦後の徳之島島民の困窮と、引き継ぐ戦争体験」では、徳之島(伊仙町)出身の自身の祖母の戦争体験を描いたコミックエッセイ『戦争さえなければ』(25年KADOKAWA刊)の著者てんてこまいさんが講演。戦争で学校に通えず53歳で夜間中学に入学し、作文「戦争が憎い」を残した祖母。「学ぶことは生きる力を取り戻すこと。祖母のように〝今は本当に幸せ〟と言える社会を続けたい」と語り、漫画という媒体で戦争を知らない世代にも伝える意義を強調した。

 パネル討議で西阿木名中の生徒3人は沖縄や知覧を訪れた体験をもとに、劇を通して戦争の理不尽さを訴える準備を進めていることなど、地域史への関心を深めている様子も紹介。若者世代への戦争の記憶伝承には、SNSや動画サイトなど活用が効果的との提案も。

 参加者からは「自分の家族や地域に残る記憶を聞くことが平和への第一歩になる」。地域の遺跡調査・家族の物語・漫画や動画など多様な手段を組み合わせて継承していく必要性も確認。主催の町教委側も「戦争を語る人が減る今こそ、音声・映像・漫画などあらゆる形で記録を残すことが大切」と強調。戦争の記憶を見つめ直し、平和な日常を未来へ引き継ぐ意義を参加者一人一人が胸に刻む一日となった。