沖縄の児童ら、戦争犠牲者悼む

対馬丸が沈没した悪石島に向けて手を合わせた沖縄県の児童たち(23日、宇検村の船越海岸)

大和村では文化財保護審議委員の中山昭二さん(左から3人目)がガイドを務めた(23日、大和村名音)

「対馬丸事件」学び平和継承へ
漂着地、奄美大島を訪問

 太平洋戦争末期、米潜水艦の攻撃で沈没した疎開船「対馬丸」の生存者らが救出された奄美大島で23日、対馬丸記念会(髙良政勝代表理事)が主催する平和学習が行われた。沖縄の小5、6年生9人が来島し、宇検村の船越海岸や大和村の今里漁港などを訪れ犠牲者を悼み、平和への祈りをささげた。

 平和学習は第4回度対馬丸平和継承プログラム(22~24日)の本研修。奄美大島での開催は2回目。宇検村では船越海岸の慰霊碑を訪れるにあたり、事件当時、父が救護や埋葬に当たった大島英世さん(76)と元村長の元田信有さん(75)が宇検防災会館で講話した。

 大島さんは対馬丸事件について、宇検で10人、久志で11人の生存者が保護されたと伝えたほか、集落にマーラン船が寄港したなど、沖縄との歴史を紹介。元田さんは碑による平和継承を願い、「時代は逆方向に向かっているように見えるが、せめて我々は戦争を起こさないように努めたい」と呼び掛けた。

 講話後、船越海岸での慰霊祭では那覇市立高良小6年の小山桜さん(12)が代表してあいさつ。児童らは黙とう後、浜辺に降り、海へ花を手向けた。

 同事業で初めて訪れた大和村では、村文化財保護審議委員の中山昭二さん(71)がガイドを担当。埋葬地がある今里、名音、戸円集落などの海岸沿いを巡り、手を合わせた。

 那覇市立松川小5年の小林聡太君(11)は「顔も知らない人たちを無慈悲に殺す、戦争の悲惨さや愚かさを学んだ」。慰霊碑については「物は長く残り続けるが、言葉は忘れると消えてしまう。だから、建立は素晴らしいと思う」と話した。

 対馬丸記念館の平良次子館長(63)は対馬丸事件について、「歴史をえぐり、覆い隠したもの」とし、生存者らに敷かれた「かん口令」を挙げ、「生き残っても言葉にできず、記憶だけが残る苦しみが生まれた。子どもたちには戦時下での戦闘の悲惨さだけではない、戦争で引きずる感情があることを学んでほしい」と語った。

 対馬丸は1944年8月21日、長崎を目指し那覇港を出港。翌22日夜、米潜水艦ボーフィン号による魚雷攻撃により悪石島沖で沈没。少なくとも1484人、うち15歳以下の1040人が死亡。同年7月から45年3月、沖縄から県外へ向けて疎開船延べ187隻8万人超が疎開輸送された中で起きた事件だった。