大型石造り掘込墓として島内最大規模となる和泊町の「世之主の墓」(和泊町教育委員会提供)
知名町からは「屋者ガジマル墓」(写真)を含む3基の古墓が国史跡として答申された(知名町教育委員会提供)
【沖永良部】国の文化審議会は19日、和泊町の「世之主の墓」、知名町の「新城花窪ニャートゥ墓」「屋者ガジマル墓」「アーニマガヤトゥール墓」の4基の古墓を「沖永良部島古墓群」として新たな史跡に指定するよう文部科学相に答申した。奄美と沖縄、さらに九州南部等との文化交流を示す貴重な遺跡と評価された。答申を踏まえて告示される見通しで、県内の国史跡としては35件目、奄美からは10件目。和泊町では初、知名町は住吉貝塚(2007年指定)に次いで2件目となる。
沖永良部島には、島内に広く分布する琉球石灰岩地を活用した岩陰墓や洞穴墓、掘込墓が多数あり、地元では「トゥール」や「トゥール墓」と呼ばれている。現時点では、近世以前に造られた古墓は島全域で110基が確認されている。
同様の墓所は奄美群島でも多く見られるが、沖永良部島では、琉球王国の影響を受け、削り出した岩壁や石積みの壁で囲まれた前庭を持ち、墓本体の上部に屋根構造を持つ大型石造り掘込墓が造られた。
その中でも、琉球三山時代(14~15世紀前半頃)に島を治めていたとされる永良部世之主の墓と伝えられる「世之主の墓」は、島内最大規模で面積が約983平方㍍、2重の前庭を持ち、墓口まで琉球石灰岩による参道を設けている。「新城花窪ニャートゥ墓」にも2重の前庭が築かれており、切妻形式の屋根や軒を表現する「屋者ガジマル墓」や、墓本体に唐破風に似たレリーフが彫り込まれ社寺仏閣の意匠を模している「アーニマガヤトゥール墓」にも前庭と屋根構造を持つ共通点がある。
両町教育委員会が連携し、2014年から24年にかけて実施した考古学調査の結果では、答申された4基を含め島内に21基確認されている庭構造と墓室屋根構造を有する古墓については、沖縄の「玉陵(たまうどぅん)」や近世墓の影響を受け、中世末期(1501年以降)~近世に成立し、島の有力者が築造したと考えられるという。
和泊町の前登志朗町長は「日本の歴史を正しく理解するために欠かせない文化財であると評価された。先祖を敬い大切にするこの島の風土を代表する大切な遺跡群であり、その魅力と価値を後世に引き継ぎ、島内外に広く知ってもらうため、さらなる保存活用に取り組んでいきたい」。知名町の今井力夫町長は「島の文化や先人の営みを今に伝え、沖縄、鹿児島との交流の歴史を考える上でも重要な価値を有する島の宝であると認識している。長年にわたり調査や保全に協力してくれた関係者に感謝したい」との談話を発表した。
来年2月11日、両町教育委員会主催で古墓群に関するシンポジウムを知名町おきえらぶ文化ホールあしびの郷・ちなで開く予定。

