ハンセン病隔離に抵抗

ハンセン病隔離に抵抗

シンポジウムでは、隔離政策に抵抗した小笠原医師の人生を関係者が振り返った(22日、奄美市名瀬の奄美和光園)

小笠原医師の人生振り返る
市民学界プレ企画

奄美市名瀬にある国立療養所「奄美和光園」に1957年から約10年間医官として勤め、研究者としてハンセン病隔離政策に抵抗し続けた医師、小笠原登(1888―1970)の功績を振り返るシンポジウム「小笠原登医師の人生と奄美和光園」が22日、同園であった。約40人が参加。放射線技師の父とともに幼少期から同園に住み、小笠原医師の素顔を知る同市の中村保さん(75)や研究者、国家賠償訴訟に関わる弁護士など4人が登壇し、信念を貫いた人生をひも解いた。

シンポジウムは、5月に同市内で開催予定の「第20回ハンセン病市民学会」のプレ企画。開催地実行委員会が主催した。

ハンセン病は、「らい菌」による慢性感染症。皮膚や末梢神経が侵されるため、治療が遅れると、手足の運動障害や顔面の変形が生じる。このため、偏見や差別の対象となり、国策により強制隔離されてきた歴史がある。

シンポジウムは二部構成で行われた。一部は、小笠原医師の功績を関係者のインタビューや映像で追ったドキュメンタリー映画「一人になる」(2021年製作)を上映。

強制隔離に反し、カルテに「多発性神経炎」などと書き患者を守った様子などが描かれた内容に、観客は息を飲んで見入っていた。

二部はシンポジウム。中村さんのほか、小笠原医師が書いた日記の研究を行い著書もある歴史学者の藤野豊さん(オンライン参加)、国家賠償訴訟で国立療養所の医師として証人席に立った和泉眞藏さんが登壇。進行役は、同弁護団の德田靖之さんが務めた。

藤野さんは、「日記を読み解くと、権力にこびない信念が伝わってくる」と解説。和泉さんは「ハンセン病に関する独自の大系(医療提供体制)を築いた偉大な人物」と評価した。

中村さんは、「当時の馬場省二園長が和光園に招請した。それまでは、最大360人いた患者を園長一人で診ていたと聞いている。小笠原さんは、園内で生まれた患者の子どもの面倒をよくみていた。田中一村(日本画家)とは通じるものがあったようだった」と振り返った。

プレ企画第2弾は「田中一村と奄美和光園」をテーマに、3月22日同所で開かれる。