地主同意など携わる 奄美最初の国史跡・宇宿貝塚

宇宿貝塚が国史跡となり、史跡整備に向けて土地の買い上げなどに取り組んだ前田篤夫さん(22日、奄美市笠利町宇宿の自宅)

元笠利町助役・社会教育課長歴任
前田篤夫さん「現在の生活の原点」

 22日に奄美市笠利町の宇宿貝塚史跡公園がリニューアルオープンしたが、同貝塚は奄美群島で最初の国指定史跡だ。旧笠利町は指定地の全面的な買い上げを行い発掘調査、その成果として出土した縄文時代の遺構(生活跡)などを、当時では珍しい覆い屋根構造にして発掘時の状態のまま保存・公開した。調査を担当したのは奄美の考古学研究の第一人者だった中山清美さん(故人)だが、土地買収にあたり地主同意などに尽力したのが元笠利町助役(現在の副町長)で教育委員会社会教育課長などを歴任した前田篤夫さん(92)。宇宿集落在住で、貝塚について「現在の生活の原点。大事にして、関心・興味を今の子どもたちにも継承してほしい」と語る。

 宇宿貝塚は縄文時代後期からグスク時代まで続く複合遺跡。発掘調査により石組住居、宇宿上層・下層式土器、Ⅴ次溝などの出土のほか、人骨も確認。弥生時代後期の壮年女性と新生児の合葬例、類須恵器(カムイヤキ陶器)を頭部に副葬されたグスク時代の乳児骨一体、10世紀前後とみられる陶質土器に入った焼骨(南島初の蔵骨器人骨)、グスク時代層から1・5歳(18か月)前後の幼児骨一体などの出土で、南島の形質人類学研究でも貴重な資料とされた。

 小高い砂丘台地上に立地するが、発見(1933年)したのは京都大学の三宅宗悦博士=人類学・考古学、医学博士=。前田さんは「道路拡張の際に遺物包含層が見つかり、三宅先生が調査が必要と判断された」と記憶する。20代前半、青年団活動をしながら貝塚に興味を持ったという前田さん。鹿児島大学の考古学研究者により発掘調査が行われたが、調査には校区の大島高校生も参加。「ちょうど夏休みの頃だった。5~6人が参加し、出土した貝殻などを洗い、遺物包含層別に番号を付けていた。私も作業に加わった」と振り返る。

 富国製糖勤務後に役場に採用されたことから、「当初は糖業を担当し主に農政畑を歩んだが、まさか教育委員会で勤務するとは思わなかった」と語った前田さん。考古学専門の学芸員として町教委・歴史民俗資料館に勤務した中山さんについて「当時は開発が多かったこともあり埋蔵文化財調査が盛んだった。遺跡調査は中山君が担当したが、その事前段階の地主の許可取り付けを担った。調査により人骨が確認されると警察に報告しなければならない。『新しいものなら警察として関わるが、遺物包含層から出土したものなら古いから呼ばなくていい』と言われたことを覚えている」。笑みを浮かべた。

 地主交渉の経験は宇宿貝塚の国史跡化に伴い、史跡整備に向けて町の土地買い上げでも生きる。前田さん自身も地主の1人で、前田さんを含めて地主は7人。毎晩のように前田さんの自宅に集まり、話し合いにより納得してもらい同意を得たという。「地元に不在の地主が1人いた。関西方面の居住地まで出かけ説明し登記手続きを行い、全員の書類をそろえた」。前田さんの奔走により指定地の全面的買い上げが実現し、発掘調査に基づいた史跡公園が誕生した。

 前田さんは「役場を定年退職後は助役を8年間務めたが、宇宿集落の老人クラブの代表も兼ねた。笠利町には80余りの町指定文化財があり、県や国指定の文化財もある。たくさんの文化財があることから、老人クラブで指定文化財巡りを催したが、今の若い皆さんや子どもたちも文化財に関心を持ってもらいたい。関心・興味によってこそ大事にしようという気持ちになる。新しくなった宇宿貝塚史跡公園にも多くの人々が足を運んでもらえたら」。役場職員時代、助役時代を懐かしみながら期待した。