銀座もとじで益田勇吉さん(喜界島出身)トークイベント

図案を示しながら説明する益田さん、左は泉二弘明会長

作品を前に笑顔の泉二弘明会長(左)と益田勇吉さん(右)
 

「現代の名工」受賞記念展も

 【東京】銀座で着物専門店を展開する「銀座もとじ=中央区銀座4の8の12(泉二(もとじ)啓太社長)」で「現代の名工」、喜界島出身の益田勇吉さん(79)による「ぎゃらりートーク」がこのほど開催された。さまざまなエピソードが明かされ、多くの来場者が聴き入った。

 トークイベントは同店で6月12~14日にあった「大島紬・益田勇吉 令和七年度『現代の名工』受賞記念展」の期間中に行われたもの。泉二弘明会長(76)も出席した。拍手に迎えられ満席の会場に登場した益田さんは「18歳まで過ごした喜界島の心象風景が原点です」と語りだした。

 色とりどりのサンゴ、引き潮の時の砂浜の跡を瞼(まぶた)に焼き付けるなか「どうして大島紬には白がない? この白を大島で表現できないものか」と思うように。そして「鹿児島の白い土を素に1986(昭和61)年に「白恵泥(はっけいどろ)」の技術開発に至り、やがて2025年に「現代の名工」として選出された。

 益田さんは「もとじブランドを作るためには(大島紬)組合を脱退して打ち込もうとしたが、やめろと(弘明)会長に止められた」。展示されている誇らしげな作品を前に「白泥大島」を編み出した背景を説明、真珠のような輝きと着心地への願いを込め取り組んだ図案も紹介。来場者は真剣に耳を傾けていた。

 互いに違う夢を抱いて18歳でそれぞれの島を離れた。だが、鹿児島市内で「小作品ばかり作って悶々(もんもん)としていた」という益田さんと「大島でも特徴のあるものを作らなければ」と志していた弘明社長(当時)が出会うことに。2000年のことだった。

 「伝統は大切だが縛られ過ぎないこと。もっと深掘りを」と本場大島紬に向き合う益田さんに「常に前を向いていく姿勢が素晴らしい」。弘明会長のエールでイベントは締めくくられた。

 銀座もとじによる「プラチナボーイ第一号」での白大島で世田谷区から参加した長谷場操さん(60)は「80歳を迎えられ、なお挑戦する益田さんの姿に尊敬の一言です」と感動していた。益田さんは現在、鹿児島市内に工房を構え制作活動している。