大島北高 集落聞き書き活動

シマの古老たちの話を真剣な表情で聴き入る生徒(25日、宇宿生活館)

地域文化・生活変遷たどる
日本復帰、思い出も

奄美市笠利町の大島北高校(有川美智代校長、生徒148人)は25日、〝地元学〟の一環として「聞き書きサークル活動」を行った。生徒11人が5グループに分かれ町内5集落を回り、地域住民に日本復帰の様子や、昭和~平成~令和の生活・文化の変遷を聞いた。記録は文章に起こし、9月に発刊予定の冊子『シマ(集落)に学ぶ』にまとめ、協力した住民や近隣の小中学校などに配られる。

宇宿集落(126世帯、222人)を訪れたのは、2年の奈良歩美さん(16)、1年の藤﨑涼介さん(15)、元一栞(ひおり)さん(15)の3人。同集落在住の昇芙紀子さん(83)、久保一子さん(72)、箕輪忠一(ただかず)さん(74)が協力し、濵崎哲孝(のりたか)区長(73)も加わった。

小学校教諭だった昇さんが「人生で一番大きな出来事は日本復帰(1953年=昭和28年)」と口火を切った。昇さんは当時、小学5年生。復帰の意味すら分からなかったというが、大人たちから「米軍からクリスマスプレゼントがある」と聞かされ、出校時に先生から大きな声で「復帰決まったよ」と告げられたと思い出を語った。

その後、当時の重成格県知事が奄美大島視察に訪れた際に、(日の丸の代わりに)桜の花を印刷した旗に子どもたちが色を塗り、出迎えた様子なども語られた。

教育基本法の公布(47年)を契機に本格化した「標準語教育」の影響については、「先生の使う標準語が分からず、指示を理解できない子どもが毎日のように残された」などといった話がされた。

米軍統治下で子どもだった参加者のほとんどは、ソテツの葉を集め小銭を得るアルバイトをしたと言い、「クリスマス飾りにする葉が色抜きされ輸出されていた」と経緯を語った。

箕輪さんは、復帰後の農業の移り変わりについて、「田んぼがサトウキビ畑に変わった。約60戸が農業に従事し約4000㌧を生産した。今は10戸。大規模化が進んだが、生産量は2000㌧になっている」などと話した。

未来に残したいものは何かと問われた久保さんは「シマユムタ(シマの言葉)や旧暦行事を残したいと思うが、人間関係も希薄になり難しいと感じている。文化も伝統も全ては生き物。伝える人がいなくなれば消滅する。今後20年で明らかになる」と語り掛けた。

聞き書きを終えた奈良さんは「本土に渡った島の人が、島を卑下するような発言をする時代があったと知りショックだった。私にとっては、古い伝統が残る島の文化は誇り」と話した。