「抑止力と平和」。静寂を切り裂く轟音の狭間で…(26日、徳之島空港)
【徳之島】4機編隊で飛来して滑走路に接地、車輪との摩擦熱による白煙を残して再加速し、耳をつんざく轟音(ごうおん)を発して離陸する航空自衛隊の主力戦闘機F15――。有事への南西諸島の防衛能力強化「南西シフト」の一環でもあろう空自の連続離着陸訓練(タッチアンドゴー)は26日の決行で4年連続5度目となった。のどかに横たわる「寝姿山」が一望できる「徳之島子宝空港」(愛称)を再び緊迫感に包み込んだ。
その光景を子や孫たちと複雑な眼差しで見つめる一人の女性がいた。東京から天城町に移住して2年になる森田美千代さん(71)だ。「戦闘機の実物の迫力を間近で観たかった」と動機は〝物見遊山〟だったが、その感想に内包された歩みは重たすぎた。
徳之島町出身の母と米兵の間に沖縄で生まれ育ち、「戦争の落とし子」として歩んできた彼女の言葉は、屈託のない明るさの中に、単なる国防論を超えた重みをたたえていた。
「日本にはこれだけの力がある。それを示すことが、何よりの守りになるのではないか」。目の前で繰り広げられる空自の主力戦闘機4機のタッチアンドゴーに、森田さんは開口一番に率直な「感動」を口にした。しかし、その感動の裏には、冷徹な現実への危惧があった。訓練は、有事がもはや空想ではないことを突きつけつつあるからだ。
「戦争は絶対に嫌。でも、他国の言いなりになって自分たちの国が守れないのは、もっと恐ろしい」。かつて沖縄で基地の存在を肌で感じてきた彼女にとって、抑止力は空理空論ではない。自分の足で立ち、自分の目で見極めた情報の先に、彼女なりの「国防の必要性」を結実させていた。
森田さんの半生は、戦後日本が抱えるゆがみそのものだった。沖縄で米兵の娘として生まれ、幼少期は激しいいじめにさらされた。「死んだほうがましだ」と絶望の淵に立たされ自殺未遂を図ったこともあり、「戦争犠牲者の一人と思っている」と吐露する。しかし、「五体満足で生まれたのなら、幸せになることを考えなさい」という言葉を糧に、20歳で上京。結婚、子育てを経て、夫や家族でようやく母のルーツである徳之島の土を踏んだ。
「何かに執着して反対するのではなく、前向きに平和を育む運動をしたい」。インターネットや動画サイトで自ら情報を集め、「うわさに流されず何が真実か」を問い続ける姿勢。それは「戦争の犠牲者」として生きてきた彼女が手に入れた、自立した市民としての矜持(きょうじ)だ。
現在は息子や孫に囲まれ、穏やかな日々を過ごす。しかし、窓の外には防衛の最前線となった故郷の海が広がる。「平和を祈る」という言葉は、時に使い古された表現に聞こえる。だが、差別と対立の中で翻弄(ほんろう)され続けた森田さんが口にする「平和」は、鋭い現実感を持って響く。国防の強化という現実を認めつつ、いかにして争いを避けるか。南西の島々が抱える重い課題への答えを、彼女は今も自らに問い続けている。
空港送迎デッキでのわずか数十分のインタビュー。「平和運動」への新しい定義。感情的な反対ではなく、情報の選別と自立した思考による平和へのアプローチを感じた。

