陸自ヘリ殉職隊員慰霊祭

墜落現場方向を望む慰霊碑と殉職4隊員の遺影を前に行われた18年目の慰霊祭=5日、徳之島町山
初参加した地元の山小児童たちは感謝の千羽鶴もささげた

悲劇から18年「未来永劫、感謝を忘れない…」
徳之島町山

【徳之島】「感謝の念を持ち、未来永劫(えいごう)忘れない」―。急患空輸(災害派遣)要請を受け、濃霧下の悪天候をついて飛来した陸上自衛隊のヘリコプターが徳之島町の山中に激突し、隊員4人全員が死亡した悲惨な事故から18年。「陸自第1混成団第101飛行隊の殉職隊員慰霊祭」(同実行委員会主催)が5日、悲しみの山頂を仰ぐ同町山(さん)公民館広場の慰霊碑前であった。

同事故は2007年3月30日午後11時すぎに発生。県知事を通じた災害派遣要請を受けて沖縄県の那覇基地から飛来した同101飛行隊(陸自第15旅団第15飛行隊の前身)の大型輸送ヘリ(CH47)が天城岳連山の山頂付近に激突。搭乗していた▽機長の建村善知1等陸佐(当時54)=同町亀津出身=をはじめ、▽副操縦士の坂口弘一2等陸佐(53)=長崎県出身▽整備員の岩永浩一陸曹長(42)=同▽整備員の藤永真司陸曹長(33)=大分県出身=の4人全員が死亡した。

濃霧下の夜間、離島住民の人命救助に向かった任務途上における悲劇。衝撃を受けた徳之島3町は「崇高な任務に殉職した隊員たちに感謝し後世に伝えよう」と島民募金を展開し09年、山公民館敷地に慰霊碑を建立した。

合同慰霊祭は遺族の意向もあり19年3月(十三回忌)で実質終えたが、地元同町は「風化させず後世に」と実行委で継続。コロナ禍や天候不良による中止も経て2年ぶりに開催。町当局や議会議員、自衛隊、住民代表、初参加の山小児童9人など関係者約70人が列席した。

式では、厚い雲が覆った現場の山頂方向と4人の遺影に向かって黙とうをささげて冥福(めいふく)を祈った。一人一人をしのぶオリジナルの「鎮魂歌」(寶田辰巳作詞、幸多優作曲)を全員で合唱した。

高岡秀規町長(実行委員長)が慰霊の詞で「あの痛ましい事故から18年。人命救助という崇高な任務を最後まで全うされた勇士にわれわれは感謝の念を持ち続け、未来永劫に忘れない」と述べ、改めて「同様の悲惨な事故を繰り返さないため、医療と行政など関係機関は離島医療体制の充実にも取り組んできた」と報告した。

初参加の山小児童たちは数か月前から用意した感謝の千羽鶴も献花と併せてささげた。琉治希君(6年生)、高野麻理萌さん(5年生)、玉城湖華さん(同)は「悪天候の中、島民を助けるために飛んできてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と口をそろえた。

陸自の奄美警備隊長代理として参列した同隊通信小隊長兼通信幹部の浅井護3等陸尉(42)は「災害派遣された4人の先輩方の遺志をわれわれが引き継いでいかなければならない。引き続き日本国、奄美群島のために精進したい」と表情を引き締めた。