慰霊碑は「平和の防波堤」

慰霊碑を訪れ献花が行われた「対馬丸平和学習交流事業」(15日、宇検村の船越海岸)

学びを振り返り、意見を出し合う児童生徒ら(同日、元気の出る館)

残す未来、残さない未来
対馬丸平和学習事業 宇検村

 終戦記念日の15日、奄美と沖縄県内の児童生徒が交流を図り、戦争の悲惨さや平和の尊さを考える、「対馬丸平和学習交流事業」(沖縄県主催)が鹿児島県宇検村で開かれた。太平洋戦争末期に米潜水艦の攻撃で撃沈された疎開船「対馬丸」の事件を学び、多くの遺体が漂着した船越(ふなこし)海岸を訪問。慰霊碑に手を合わせ、歴史の継承へ思いを新たにした。

 対馬丸は1944(昭和19)年8月21日、学童や一般疎開者ら1788人を乗せて、那覇港を出港。翌22日夜、鹿児島県悪石島沖で米軍潜水艦による魚雷攻撃を受けて沈没。犠牲者(氏名判別者数)は1484人、うち児童784人とされる。

 慰霊碑は2017年、宇検集落の要望を機に建立され、翌18年から同交流事業を開催。6回目の今年は宇検村と大和村、沖縄県の小中学生と保護者ら約40人が参加した。

 講師は平和学習事業を手掛ける㈱さびら(沖縄県那覇市)の安里拓也さん(26)が担当。船越海岸では児童生徒らが事前に学び、調べた事件の概要を発表するなどフィールドワークを行い、証言者の声を朗読。「戦争の記憶を残す、平和の防波堤」(安里さん)とする慰霊碑に児童生徒らは花を手向け、犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。

 同村湯湾の元気の出る館では、学びを振り返り、対馬丸の歴史を「残していく未来」「残さない未来」について意見を交換。保護者を交えながら子どもたちは「戦争の怖さが理解できる」「今まで伝えられた事件の歴史が途絶えてしまう」など考えを出し合い、継承と平和への決意を新たにした。 

 枝手久島に住んでいた漁師の高祖父が遺体の処置などにあたったという、沖縄県の南城市立久高中学校3年、内間希空(のあ)さん(14)は、母の千賀子さんと初めて船越海岸を訪問。2人は「美しい海岸だったが、当時は血の海だったと聞き、想像を絶し涙が出てきた」などと語った。

 久志中学校2年、植田大和さん(13)は「対馬丸事件は知ってはいたが、(船越海岸に)流れ着いた人を奄美の人が保護し、遺体を丁寧に埋葬したことなどを初めて知った。忘れてはいけない歴史として、語り継いでいきたい」と述べた。