京大とのやり取りを続けてきた良岡さん
京大がホームページで公表した遺骨リスト
先人への思いが遺骨返還への進展につながった――。昭和初期、京都大学(京大)が研究目的で奄美群島と沖縄本島の風葬墓から遺骨を持ち去ったとされる問題で、90年の時を経て、京大は遺骨を収集していたことを認め、その保管するリストを公表した。喜界町では、同町議員の良岡理一郎さん(74)が所管する京大総合博物館とやり取りするなど、道筋への一端を担った。良岡さんは「まだ扉は開いたばかり」と話すが、事態が動いた背景には、島の祖先に対する思いがある。
良岡さんが、それを知ったのは2022年春。喜界島で風葬墓のムヤ(モヤ=喪屋)を探していた奄美三島連絡協議の関係者から捜索協力の依頼があり、自身が住む西目・大朝戸地区で調査にあたることになった。
そんな取り組みの中で分かったことは、「年配者を含め、多くの島民が遺骨の持ち出しやムヤの事情を知らない」こと。島の高齢化が進む中で、「忘れ去られては一生先祖が戻ってこれない」との思いから本格化に動き出した。
遺骨が喜界島から持ち出されたのは1935(昭和10)年頃、京大の前身である旧京都帝国大医学部が収集したとされる。当時の研究所代表の清野謙次教授が著した目録からも明らかだ。京大が公表した遺骨リストによると、喜界島は計47箱、少なくとも130体分が保管されている。リストには収集時期や地名は記してあるが、個人を特定できる遺骨はない。
西目・大朝戸地区の収集場所の特定には、良岡さんが同時期に換地委員を務めていた土地改良事業の図面から、古い名称の場所が特定できた。「(調査にあたった)5人の執念。小字名の入った地図が手元にあったこともタイミングが良かった」と話す。
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持ち出しが分かってからは、遺骨の保管状況と情報開示を求める質問状を良岡さんの議員名義で京大に送り続けた。1通目は22年11月。これに対して所管する京大総合博物館は当初、「24年度をめどに順次調査を進めている」としたが、同年3月末になって回答を保留。たび重なるやり取りを経た今年11月、遺骨リストと返還ガイドラインの公表を知らせる書面が良岡さんの手元に届いた。
京大が遺骨の保管を認めたのは初めて。「収集した遺骨や副葬品を現地に返還するのが世界的な流れ。その影響も大きい」と良岡さん。しかし、「京大は過去の行為を島民に謝罪すべき。遺骨を元の場所に戻すのは当然だ」とも憤る。
一方、京大が公表した返還ガイドラインでは、希望があった場合は民法上の祭祀(さいし)承継者に返還する。個人が特定できない遺骨については、「由来地である地方公共的団体から移管の要請があった場合は、協議に応じる」としており、移管を求めていくには公共団体の協力も必要になる。
「町が先頭に立って協議を進めることが大事。まずは各集落区長に諮り、元のムヤに戻す。特定できない遺骨については、(町が計画を進める)共同納骨堂にスペースを作り、受け入れ先を選択できるようにしておくことが理想だ」と描く。
全ての返還までには、相当な時間も必要だ。「町にも大方の経緯は伝えてきている。議会とも相談しながら進めていきたい」と良岡さん。「130人の先祖が島に帰ってくる。合意形成を含め、時間をかけても取り組んでいく」と自らを奮い立たせる。
奄美群島では喜界町のほか、奄美市笠利町で54箱(少なくとも133体)、伊仙町で27箱(同97体)が公表されている。

