琉球国統治からの系譜につながり

500年前、琉球国からの笠利間切への派遣から始まる系譜を解読し、安田家の先祖が系統であることを明らかにした安田宏樹さん(右から2番目)と、保管していた順一さんの長男勇之進さん・妻テルカさん・次女ゆうきさん

笠利町用の安田家 派遣された役人の系統
家系図復元500年の歴史よみがえる

 奄美諸島は、「15世紀中頃に奄美大島北部の笠利半島(現在の地方自治体に相当する間切(まぎり)では笠利間切として編成される地域)までが琉球国の領土に入り、16世紀になると、奄美にも琉球と同様な間切制度が整備された」とされている。室町時代の1522(大永2)年、琉球国からの役人として親方(ウェーカタ=士族がたまわる最高の称号)の笠利間切への派遣で始まる系譜(けいふ)が奄美市笠利町用の安田家に保管されている。その古文書史料を分かりやすい現代語訳にするなどして解読したところ、系譜には安田家の先祖の名があり、500年前の歴史が家系図とつながった。

 長さ13㍍を超える一巻の家系譜は、安田順一さん(90)が自宅で保管していた。妻のテルカさん(81)によると、順一さんの父親・宗侃(そうかん)さんが管理していたものという。長年の歳月を示すように破れた箇所もあるなど傷んだ状態。

 昨年8月、東京経済大学経済学部教授で順一さんの甥(おい)にあたる安田宏樹さん(47)は帰省した際、この史料に関心を持った。解読しようと9月に業者に頼みスキャン(コピー)。11月には別の業者によって現代語に訳した。それにより系譜の内容が明らかになり、1980年に出版された亀井勝信編『奄美大島諸家系譜集』(国書刊行会)に掲載された「嬉姓喜志統親方系譜」と内容が同じであることが判明した。宏樹さんは、奄美の古代史研究で知られる石上英一さん(東京大学名誉教授)の『奄美諸島編年史料』も参照にした。

 解読により、元祖となる喜志統親方は「笠利間切屋仁村へ赴任。在職中は毎年、中山国王にお目見え。長年勤めた恩賞として、親方の身分になった」との記述があった。系統となる人物名が記された喜志統親方系譜には、親方だけでなく「与人」(よひと=島役人)の記載もあるが、こうした人物名の最後の部分に安田家の墓標に記されている先祖名「實武(さねたけ)」(明治期の1823~82年)、「英庸(えいゆう)」(1851~1932年)があることに宏樹さんは気付いた。「本にあった系譜と安田家の家系図が重なった」(宏樹さん)瞬間だった。

 奄美大島に関する歴史書や研究書と系譜が結びついたことで、安田家の先祖は琉球国の役人だった喜志統親方の系統であることが明らかになった。宏樹さんはさらに實武さんから始まる100人を超える一族を調べ上げ、今年2月には安田家の家系図を作成した。

 宏樹さんは「安田家の家系図は今後も情報を更新していきたい。また、安田家の元祖となる喜志統親方は沖縄から派遣されたため、沖縄での系譜についても同県にある沖縄県立図書館などで調べたい」と語った。系譜を示す史料を保管していた順一さんの長男勇之進さん(52)や次女ゆうきさん(54)は、現代語訳などで復元するとともに家系図を作成した宏樹さんの功績に感謝し、現在につながる500年の歴史のロマンに感動している。