経王寺から奉納演奏をスタートさせた朝崎郁恵さん。チヂンの音も軽快に
奄美のシマ唄、唄者朝崎郁恵さん(89)。シマ唄を世界に広めた第一人者と言っても過言ではないだろう。御年89歳になってもなお、後進の育成に携わり、奄美のシマ唄の心を広く伝え続けている。精力的にライブ活動もこなし、会場は常に満員状態に。「どうしても聴きたくて」「生で聴けるチャンス」と初めての来場者から、いつも来る常連のファンまで、ファン層も広い。終演後に会場を後にする人たちからは、「涙が止まらなかった。エネルギーをもらえた」という声が聞かれる。彼女のどこから出てくるのだろうと思われるエネルギーが会場を包むから、一緒に歌に包まれた感覚になっていくのだろう。それは、同じ空間であれば、なおのことである。朝崎さんの活動を追った。(屋宮秀美)
昨年11月のライブを控えての練習をのぞかせてもらった。
ピアノの五十嵐典子さん、三味線の古橋良文さん、弟子の勇みつえさんと朝崎さんの4人がスタジオに入る。早速、セットリストを通す。三味線が鳴り始める。朝崎さんがおもむろにチヂンを取り、リズムが違うと、指摘が入る。チヂンのリズムにリードされ、するりと朝崎さんのリズムになっていく。聴いているこちら側は、そうそう、このリズムよねと、感じる。何が違うとは言えないが、朝崎さんが出すリズムは、私の知っているリズムだった。熱を帯びてくると、朝崎さんは立ち上がり、熱唱した。
本番当日を迎えた11月4日、新宿の経王寺で開かれた奉納演奏は、あっという間に予約で席が埋まったという。
「寺や神社に奉納の歌を届けたい」という朝崎さんの願いでスタートした奉納演奏。五十嵐さんと古橋さんの2人が実行委員となり、今回が第1回目。
静まりかえった本堂内にピアノの音が流れる。朝崎さんが静かに登場、三味線の音が入る。「朝顔節」だ。シマ唄で「一番格式が高い」と朝崎さんが教えてくれた歌だった。朝崎さんの声が満員の客席に広がっていった。朝崎さんから「お会いできるのを楽しみにしていました。新年は90歳になります。聴きに来てくださる方がいる限り、倒れるまで歌おうと思っています」「年を取ると耳も目も衰えてきますが、歌を歌って皆さんと生きて行きたいと思います。これから、奄美を歌います。奄美を楽しんでいってください」とあいさつがあると、会場から拍手が沸いた。
丁寧に歌を解説、聴き手を引き込んでいく。2曲目は乗りのいい「しょうれん」をチヂンとピアノに乗せて。勇さんがお囃子で歌を乗せていく。「千鳥浜」「正月ぎん」「塩道長浜」と続いた。歌詞の説明にとどまらず、歌の背景、歴史までじっくり紹介していく。次々と披露される歌に来場者らは、奄美の世界を楽しんでいた。
初めて生歌を聴く人も多かった。
来場者らに話を聞くと、夫婦で来ていたキース・ワディントンさん(63)と北条友紀さん(49)は「主人がネットで朝崎さんを知り大ファンなんです。CDとは全然違う。近くで聴けて良かった」と話し、藤田洋子さん(45)は「テレビから流れる歌を聴いたことがあり、近くでやることを知って来ました。癒やされました」。
喜界島に縁があるというシンガーの後藤杏奈さん(28)は「日本の島の文化が残っているのでは。自然とぽろっと涙が落ちました。本土の人が経験していない島の人たちの暮らし、思い全てが歌に詰まっているようです」と熱く話した。
1935年11月11日、奄美・加計呂麻島・花富生まれ。
奄美諸島で古くから唄い継がれてきた奄美シマ唄の唄者(ウタシャ)
シマ唄の研究に情熱を傾けた父・辰恕 の影響を受け、また、不世出の唄者と謳われる福島幸義に師事し、10代にして天才唄者といわれた天性の素質を磨きかける。千年、あるいはそれ以上前から唄われてきたともいわれる奄美シマ唄の伝統を守り、その魂を揺さぶる声、深い言霊は、世代や人種を超えて多くの人々に感動を届けている。
ニューヨーク・カーネギーホール、ロサンゼルス、キューバなどの海外公演、国内では国立劇場10年連続公演など、数々の大舞台を踏んできたが、1997年に 発表した初のピアノ(高橋全)と奄美シマ唄のコラボレーションCD「海美」が、ラジオで細野晴臣氏により紹介され「朝崎郁恵」は世に広く注目を浴びることとなる。
吉俣良、坂本龍一、UA、ゴンチチ、 上妻宏光、姫神など数多くのアーティストと共演してきた。
ピアノのみならずさまざまな民族楽器、ミュージシャンとのコラボレーションでシマ唄を唄い、奄美シマ唄と自身の可能性を広げ、その世界を深め続けている。現在は2017年12月を皮切りに生まれ育った「奄美」への恩返し公演をシリーズ展開中。(オフィシャルホームページより転記)