奄美のシャーマン文化に誇りを

「私の生きがいになった本」と5㌢以上はある分厚いフランス語で著した本(左)と日本語翻訳本「日本最後のシャーマンたち」を並べ、笑顔のジョリヴェさん

『日本最後のシャーマンたち』著したミュリエル・ジョリヴェさん(上智大名誉教授)

『日本最後のシャーマンたち─見えない世界との邂逅(かいこう)─』(草思社刊・鳥取絹子訳・税込み2420円)のタイトルに思わず引き込まれた。同書との出会いは翻訳本が出版された2023年の夏だった。25年の5月、友人の元記者からミュリエル・ジョリヴェさん(73)を紹介された。まさかの通訳なし。日本語ペラペラにはびっくりした。5㌢以上はある分厚い仏文の原書を「私の生きがいになった本よ」と、とても大事に抱えたジョリヴェさん。彼女へのインタビューに翻訳本の紹介を交えてシャーマンへのあふれる愛情をお届けする。

奄美大島にはおよそ300人いるとされるシャーマンの「ユタ神さま」。その数は、このハイテク時代にあって減少するどころか、逆にわずかずつではあるが増加する傾向にあるという。
しかし、これはあくまで、「我が郷土の誇り」と叫んでもいいくらいの例外中の例外。日本列島に存在する「シャーマン文化」は衰退の一途をたどっているのが現状だ。中でもシャーマン文化を代表するともいわれてきた青森の「イタコ」、沖縄・奄美の「ノロ」は絶滅危惧種とさえ指摘され、その衰退ぶりが憂慮されている。

そんな日本のシャーマンの世界を愛情を込めて見据えていたのか、社会学者のジョリヴェさんは、「早く動かなくては」と17年、上智大学退職後すぐさま取材を開始した。

「死後の世界にも当たり前のように触れるシャーマンですが、私は怖いとか全く感じたことがなくて、シャーマンも普通の人間の一人なんだと思って話を聞きました。実は私、大好きなんです、シャーマンが。ユタさんたちの話を聞くのが、ほんと楽しくって」

流ちょうな日本語で話すジョリヴェさんの新刊に登場するのは、北海道のアイヌのシャーマンから沖縄の久高島などのほか、東京なども含めた日本全国のシャーマンたち。もちろん奄美でも取材。3人のシャーマンにインタビューしている。

「この本は取材に同行してくれたシャーマンのマリアさんのおかげで執筆できました。本当に感謝しています。奄美では、栄サダエさん、肥後ケイコさん、男性のユタ・新納和文さんと出会いました」

「栄さんは、この世でユタほどきついものはない。自殺寸前の人から電話が来たり、その厳しさ、つらさは言葉にはできない。だから私一人で十分、身内には誰にも絶対に跡は継がせない、と話していました」

「肥後さんは、それまで誰もが恐れて近づけなかった『マテリアの滝』で修業と供養を重ね、その一帯は今や観光名所の一つになっている。さらに、霊が見える女子高生と面会。そういう才能があってもいいじゃないかと精神病院から退院させたりしています。本当にすごいですよね」

新納さんとは19年の今井権現祭でたまたま出会ったが、ジョリヴェさんにとって初めて会う男性のユタだった。

奄美のユタは95%が女性だという統計がある中、男性ユタは彼女にとっても興味津々の存在。インタビューの機会を得ると、いつになく力が入ったという。

その熱意に応えるように、あまりメディアに登場しない新納さんが長時間のインタビューに応じ、率直に胸の内を語っている。

「奄美のシャーマンは東京に大地震が来ると予言しています。私もそう思います。でも奄美は神さまに守られているからと、東京からここへ避難して来た人も知っている。私たちが自然を大切に守っているからです」

初対面のジョリヴェさんに、このように本音で答えているのは驚きですらある。それもこれも彼女がシャーマンたちに深い愛情と尊敬の念を持ち、そうした思いがそのまま新納さんに伝わったからに違いない。

日本愛にあふれているように見えるジョリヴェさんだが、当初はそう長く日本に住もうと思ってはいなかったという。でも、気が付くと修士号も博士号も日本で取得し、専門も日本を中心とした社会学(東洋学)。

「これじゃ、パリで仕事はないな。でもまあ、研究はお金にならないけど、生きていけたらいいかなあと思って…」

こうして日本に長く住み着くことになったジョリヴェさん。だが、日仏学院での仕事をしながらも暮らし始めた当初の生活は「本当に貧しい」ものだった。

部屋は6畳一間、安さだけが取り柄の家賃3万円。夏の暑さは図書館でしのいだ。ただわずかに花街が残る神楽坂という土地柄、時に三味線の音色がかすかに聴こえてくる風情もあったが、印刷屋の2階に住んでいたため、朝早くから午後8時頃まで揺れと印刷機などの機械音に悩まされた。そんな生活にもめげず、5年ほどは「貧乏暮らし」を続けたがフランス文部省とその後、日本の文科省からも奨学金が支給され、ようやく一息付ける生活に。

その後着実に実績を積み重ねてきたジョリヴェさん、一体なぜ最後のシャーマンを追いかけて動き出したのか。

「東北(青森県の恐山)、北海道でもシャーマンは絶滅の危機に瀕(ひん)している。北海道ではアイヌのレラが最後のシャーマンで、恐山の中村タケは正真正銘のイタコと言って間違いない」

「なによりシャーマンがいなくなると、日本人の魂の一部も消えることになると思ったから」

ジョリヴェさんは著書でこう述べている。

「日本人の魂の一部が消える」とはどういうことなのか。それは間違いなく、日本人が古来から持ち続けてきた精神性……神の世界、死後の世界、死生観などなどだろう。シャーマンたちはそうしたものを心身全てをかけて私たちに伝えてきたのに違いない。また私たち自身も、そんなシャーマンたちを畏れ敬い、心から受け入れてきたのだ。

そう考えると、ユタ神さまのシャーマン文化が衰退するどころか、逆にわずかずつでも伸びているという郷土・奄美の地に、改めて誇りの念を抱かずにはいられない。

さらにジョリヴェさんは、生身のシャーマンたちへの思いを称賛を持って語っている。

「彼女たちは熱い心を持ち、社会の底辺にいるのを自覚しながらも自信にあふれていた。彼女たちは自分たちの使命の重要さを一瞬たりとも疑っていなかった。私は、幸運にも素晴らしい女性たちに接することができ、何人かは友人になった。それだけで、この仕事に費やした私の努力が報われる」

そんな友人になったシャーマンの一人から、ジョリヴェさんは飛び切りうれしいエールを送られたという。

「遠く離れた二つの文化を近づけること。新大陸と先住民の文化の懸け橋となったポカホンタス(※)のようになってほしい、それがジョリヴェさんの使命だ」というのだ。

「私は、ポカホンタスは知らなかったけど、その使命を実行するだけ」と、ジョリヴェさんも心に期すものがあったのだろう、決意を新たにするかのように記している。

上智大学名誉教授と言えば、年金暮らしで気楽に生活しているかと思われるが、「今でもシャーマンの研究にまい進中。こんな教授いないわね」と明るく笑う。

近く出版予定の著書もシャーマンがテーマという。楽しみに待ちたい。 (永二優子)

【プロフィール】

ミュリエル・ジョリヴェさんは、ベルギー生まれの日本学者。1973年22歳の時から日本に住む。パリ大学で日本語に興味を持ち、同年、来日し日仏学院で仕事をしながら、74年に早稲田大学と東京大学で社会学を学ぶ。25歳の時、日本人男性と結婚。東洋学博士。83年から上智大学外国語学部フランス語学科教授を34年間務め、17年から同大学名誉教授。『子供不足に悩む国・ニッポン』(大和書房)など、日本社会に関する著書多数。

※ポカホンタスの意味

米国バージニアの先住民ポーハタンの首長の娘。英国の植民地開拓者ジョン・スミスを処刑から救ったと伝えられる。(デジタル大辞泉小学館より)