台湾と奄美の交流喜ぶ

台湾を訪れた当時の写真や合唱祭の資料などに目を通し、懐かしそうにほほ笑む築島さん
横断幕を掲げラ・メールを出迎える台湾の人たち(2000年12月、台湾の空港で)(築島さん提供)

龍郷町のパラ交流事業 20年前に台湾で合唱祭
ラ・メール主宰の築島さん

約20年前、台湾の女声合唱団と国境を越えた交流を行った女声合唱団「ラ・メール」を主宰する築島成子さん(87)(奄美市名瀬平田町在住)は、2月9日に龍郷町生涯学習センター「りゅうがく館」で開かれた「チャイニーズ・タイペイパラリンピック員会(台湾・CTPC)と同町の交流事業の調印式の報道に、「奄美と台湾の交流が続いていることが大変うれしい」と喜び、今後、民間レベルでの交流がさらに深まることを期待している。

1990年、築島さんを中心に結成されたラ・メールはシマ唄を取り入れた合唱曲「海の子守歌」を発表するなど奄美の文化振興に尽力、奄美のみならず鹿児島、東京など活動の場を全国に広げていった。そして、結成10周年を迎えた99年には、台北市の心声主婦合唱団が奄美を訪れ合同コンサートを開催、翌2000年には、ラ・メールが台湾を訪問するなど交流を深めた。

築島さんは「台湾の空港で横断幕を掲げた熱烈な歓迎は忘れられない。言葉や文化の違いはあったが、同じ琉球弧に位置する島として、互いに通じ合うものがあった」と当時の交流を振り返る。その後も数年は、互いに連絡を取り合うなど交流を続けていたが、メンバーの高齢化などもあり、次第に交流は途絶えてしまっていた。

そんな中、今回の龍郷町との交流事業を知り、「西郷菊次郎翁が初代の台湾宜蘭庁長を務めるなど、奄美と台湾の深いつながりを感じた」という。

新型コロナウイルスの影響で、東京五輪・パラリンピックの開催は不透明な状況が続いているが、築島さんは「開催の可否に関わらず、これを機会に、また奄美と台湾の交流が深まることを期待したい」と話した。新型コロナで、ラ・メールの活動もなかなかできない状況が続いているが、「20年前、合唱を通した交流をしたものとして、今後の台湾・奄美の交流を手助けできることがあれば協力したい」と話している。