与論町で城跡サミット

今帰仁と沖永良部、与論のつながりを考えた城跡サミット(17日、与論町)

今帰仁と兄弟島のつながり確認
発掘調査から見る共通点

 【沖永良部】「山北兄弟城跡サミット~城跡から山北・北山」が17日、与論町福祉センターであった。地域住民ら50人ほどが参加。沖縄の今帰仁(なきじん)村と与論、沖永良部の考古学者が講演し、近年の発掘調査の成果をもとに3地域のつながりを考えた。

 今帰仁城跡を拠点にした琉球北山は、最盛期には奄美群島まで勢力を伸ばし、沖永良部島と与論島に息子を送り、城を築いたとされるが、琉球国の正史には記述がなく、伝承や家系図上での由来等によって各地域に伝わってきた。

 サミットは、3地域に残る城跡から琉球北山について考えようと、文化庁の2025年度国宝重要文化財等保存・活用事業費補助金を活用し、同町教育委員会が主催した。

 講演者は、今帰仁村歴史文化センター館長の玉城靖さん、和泊町教育委員会の北野堪重郎さん、与論町教育委員会の南勇輔さんの3人。

 玉城さんは、発掘調査において今帰仁城の炉跡と考えられる場所から見つかった遺物を紹介し「14世紀後半から15世紀の陶磁器が出てきた。中山に滅ぼされる直前まで使われていた炉跡だとわかった」と述べ、与論城跡でも同じ時代の陶磁器が出土していることから「(与論城跡も)北山時代だと言える」とした。

 和泊町の「世之主の城跡」と「後蘭孫八の城跡」の特徴などを説明した北野さんは「現在のところ、沖永良部の城跡を、北山や与論城跡と結びつける証拠は確認されていないが、出土する遺物は、今帰仁城跡や与論城跡と共通する面もある」とし、新年度から「後蘭孫八の城跡」の調査が始まるとした。

 南さんは、与論城跡の石垣の作り方を調査した結果から「沖縄の大きな城で見られる構築技法であり、鹿児島本土や奄美大島では確認されていない」と説明。さらに、沖縄の城との共通点として、与論城跡と世之主城跡の両方に主郭を中心にいくつかの区画が設けられている点を挙げた。

 3人による総合討論もあり、石垣の積み方や琉球から中国へ輸出されていた硫黄について意見を交わした。