隆帯文土器発掘の意義語る

天城町西阿木名の「下原=したばる=洞穴遺跡」で発掘されたと発表された「隆帯文土器」について語る高宮会長

「交流、航海技術示すデータ」
奄美考古学会・高宮会長

 天城町教育委員会は15日、同町西阿木名の「下原=したばる=洞穴遺跡」から奄美群島最古の土器となる「隆帯文土器」(1万3~4千年前)が出土したと発表した。奄美群島の考古学の定説を覆す新発見について、奄美考古学会の高宮広土会長(鹿児島大学国際島嶼=しょ=教育研究センター教授)は「(奄美群島で)北との交流がこの時期からあり、航海に長けた人がいたことを示すデータになる」、「九州などの本土と同じ時期に土器が作られていたという点で非常に注目に値する」、「遺跡は島の歴史を理解してもらう目玉になる可能性もある」などと意義を語った。

 奄美群島内でこれまで発掘された最も古い年代の土器は、喜界町の総合グラウンド遺跡の「刺突条線土器」(約7千年前、1点)。6500年前ごろの南島爪形文土器は沖縄県や奄美群島の各地で出土している。群島内では2万5千~3万年前の旧石器が発掘されており、今回の隆帯文土器の発掘により、「旧石器時代と貝塚時代の人の存在を示し、空白を埋める可能性がある」と高宮会長。

 隆帯文土器は九州で主に出土している形の土器で、これまでは種子島が南限とされていた。これについ
ても「北から来たものであれば、今後奄美大島や喜界島で隆帯文土器が発掘される可能性は否定できない。ほかの遺跡の調査でも『奄美群島は隔離された環境ではなく外からの影響などがある』という可能性を前提にしなければならない」と話す。

 また、同遺跡からはイノシシやアマミノクロウサギなどの獣骨なども発掘されているという。高宮会長は「陸上の環境を熟知していないと取ることができないタンパク源。(アマミノクロウサギを)このころから食べているのに絶滅していないのはすごいこと」とした。