徳之島町で第56回富山丸戦没者慰霊祭

遺族団70人と地元関係者合わせ約120人が参加した第56回富山丸戦没者慰霊祭=17日、徳之島町亀徳

「戦争の悲惨さ、平和の尊さ」「令和」に語り継ぐ
鎮魂の祈り捧げる

 【徳之島】太平洋戦争末期の1944(昭和19)年6月29日、米潜水艦に撃沈された輸送船富山丸の第56回戦没者慰霊祭が17日午後、慰霊碑のある徳之島町亀徳「なごみの岬公園」であった。関東地区および7県の遺族ら参拝団70人と地元関係者合わせ約120人が参加。鎮魂の祈りを捧げ、戦争の悲惨さ平和の尊さを「令和」世代に語り継ぐ決意も示した。

 富山丸(7500㌧級)は、沖縄への増援部隊と燃料など物資を満載して同町亀徳沖約3㌔を航行中、魚雷攻撃を受けて轟沈し、流出した大量のガソリンドラム缶にも引火。過密状態で乗船中の旅団将兵をはじめ船員・船砲隊員など計3724人が船を運命を共にし、海上に逃れた人々は火炎地獄の犠牲となった。船舶では、タイタニック号や翌年の戦艦大和(旧第2艦隊)と並ぶ第1級の惨事とされる。

 慰霊祭には関東地区をはじめ高知・徳島・香川・愛媛・大分・宮崎・鹿児島7県の子や孫世代の遺族らが来島。船舶利用者たちは、船会社側の配慮で亀徳沖を旋回して洋上慰霊祭も。午後2時から慰霊祭に臨んだ。

 慰霊祭を支え続ける徳之島町の高岡秀規町長は祭祀(し)で「今後も各県の遺族会と力を合わせ、平和で豊かな日本、世界を築くことを誓います」。遺族会参拝団長の杉田明傑(めいけつ)さん(78)=千葉県=も慰霊のことばで「今日の平和と繁栄は、英霊の皆さまの尊い犠牲の上にあることを忘れない。不透明な内外情勢の中、英知を持ってこの平和を子孫に伝えることが私たちの務め」と述べた。

 各県遺族団の一人一人が献花し、詩吟にも託すなど各代表が追悼のことば。「人(将兵)を詰め込みガソリンドラム缶と一緒に運んだ富山丸もそうだが、日本ほど兵士を粗末にした軍隊はない。あの戦争を忘れず、平和な国であり続けるよう頑張るのが遺児の責任」とのアピールも。

 生還者の1人で同慰霊碑建立と全国遺族会育ての親の三角光雄氏(故人)の顕彰祭もあった。

 参拝団を代表お礼で、関東地区遺族会の川南廣展(ひろのぶ)さん(83)=東京都=は「戦争の悲惨さを自分たちの世代で終わらせずに語り継ぎバトンタッチしていくため今年の第56回は〝道半ば〟です」とも強調した。