旧満州国の貯金通帳 72年ぶり遺族に戻る

72年ぶりに返還された義父母の旧満州国・郵政貯金通帳と嫁の上原トヨ子さん=21日、徳之島町

上原家代々の「お守り・宝もの」にも

徳之島町の上原さん
横浜税関から「お守り・宝ものに」

【徳之島】「わが家にとっては、数億円にも勝る最高のお守りであり宝ものです」。徳之島町亀津の上原トヨ子さん(68)に今年1月、横浜税関から古びた貯金通帳が2通届いた。太平洋戦争終結時、旧満州国でソ連軍に連行されたまま消息を絶った義父と、乳飲み子の長男を連れて命からがら日本に引き揚げることができた義母の「郵政儲金=ちょきん=簿」。戦争の悲惨さと歴史の重み、使命達成感との複雑な胸の内を語った。

義父の上原上次寶さんは1945(昭和20)年の敗戦まで満州国(現・中国東北部)の警察官を務めた。義母ハルさんは、夫・上次寶さんを失った(のち戦時死亡宣告)ばかりか、敗戦で追われる混乱下に幼い長女も栄養失調で亡くす。失意のどん底で長男(トヨ子さんの亡夫)を守り、東安から奉天=ほうてん=へ。死と背中合わせの逃亡生活で1年余、キリスト教会にも身を寄せた。そして佐世保への引き揚げ船に乗ることができたという。

太平洋戦争終結後、外地からの引き揚げ者が持ち込む通貨や証券類など資産は、連合国軍総司令部(GHQ)が急激なインフレを恐れ、各上陸港などで資産を供託させ、持ち込みを禁止する。53(同28)年になって返還が始まるが、戦後の混乱で持ち主と連絡が取れず、現在も6割以上が未返還という。上原さんの義母(7年前死去・享年92歳)は生前「現金や通帳は取られ、手には長男のオムツだけだった」と述懐していた。

上原さんは返還に関する話題をラジオや新聞で知り、2度目は「ダメ元」で県外の門司税関に問い合わせた。すると義父母の通帳が横浜税関に保管されていたことが判明、ついに上原さんの手元へ。「戦争という悲しい歴史と重み。義母が語っていた満州からの恐ろしい逃亡の日々の想像がよみがえり、涙が止まらなかった」。

敗戦によって満州国の資産価値は消失したが、上原さんは「お帰りなさいね。ようやく、やっと島に帰り着いたね」と義父母の墓前にも供え報告した。「異国の地で夫も娘も亡くした義母が健在なら、どんな思いでこの通帳を手にしただろうか。あの雲の上で『うん、うん』とほほ笑んでくれていると思った」。通帳は「私たち一族のお守り・宝ものとして、子々孫々に継いでいきたい」と目頭を押さえた。