第51回戦艦大和戦没者慰霊祭

第51回戦艦大和戦没者慰霊祭

「慰霊と平和希求のシンボル」を前に献花し、戦没者たちの冥福を祈る参列者たち=7日、伊仙町犬田布岬

慰霊と平和希求シンボルに
関係者100人祈り新た
伊仙町

 

 【徳之島】第51回「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」(同実行委員会主催)が7日、関係者約100人が参列して伊仙町犬田布岬の同慰霊塔前であった。悲惨な戦争に駆り出されて米軍機の猛攻にさらされ、艦と運命を共にした戦没将士3737柱に鎮魂の祈りを捧げ、恒久平和の誓いも新たにした。

 西犬田布女性連会員たちの奉納踊りで午後1時すぎに開式した。公益財団法人・特攻隊戦没者慰霊顕彰会の小倉利之理事が沖縄戦線への出撃途上にあった同特攻艦隊の英霊たちをしのんで祭文奏上。旗艦「大和」の沈没時刻とされる午後2時23分、参列者全員で黙とうして冥福を祈った。

 船団の軽巡洋艦「矢矧=やはぎ=」の操舵長だった父範三郎さん(当時28歳)を失った内村武人さん(73)=東京都=と、「大和」の弾薬庫担当だった兄元一さん(同27歳)を失った月本陽蔵さん(84)=兵庫県=が遺族代表であいさつ。月本さんは、「多くの尊い命を失って得た現代の日本の平和に感謝し、戦争のない世界平和を切望する誓いのシンボルに」と述べ、慰霊祭と慰霊塔を守り続けている町当局など実行委員会に感謝を示した。

 大久保明町長は慰霊のことばで「祖国日本の発展は、御=み=霊の尊い犠牲の上に築かれた。恒久平和のためこの慰霊祭を継続します」とも表明。関係機関・団体代表らの玉串奉納に続き参列者全員で白菊を献花した。
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 戦艦大和(72、809㌧)を旗艦とする旧日本海軍第二艦隊の計10隻は太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月6日、沖縄の米軍に対する海上特攻「天一号(菊水)作戦」で山口県徳山港沖を出撃。鹿児島の西南西約3㌔を南下中の7日午後、米軍機動部隊艦載機の波状攻撃を受け、大和をはじめ巡洋・駆逐艦など計6隻が沈没。乗組員・将兵合わせ3737人が犠牲となった。