林さんが「思い出してほしい」と呼び掛ける各課に設置された卓上旗。左から3番目が林さん(2018年1月12日)
中学卒業後からずっと家に引きこもっていた40歳代男性。母と2人暮らしだったが、その母が入院することになる。男性は家賃が支払えなくなった。母も、男性も誰にも相談できなかったところに、保健師が手を差し伸べる。
入院前から保健師と関わりがあった母は、男性の存在を積極的には口にしなかった。男性の存在を把握していた保健師は、島外に住む男性の家族が帰島した際に事情を聞いた。家族らとともに生活保護の申請を勧めた。
申請後はケースワーカーとも連携を図る。男性の外出を促すために、家庭訪問ではなく面談に呼び出すなど工夫も行った。
「外に出たい」という本人の思いも後押しし、男性は現在、就労支援事業所に通い、生き生きと働く姿を見せる。母もまた、「少し寂しい」と話しながらも、うれしそうな笑顔を浮かべたという。保健師はその後も継続的な支援を行った。
瀬戸内町保健福祉課の保健師・林智子さんは、自身が携わったこの事例を振り返り、「一歩踏み込んだ支援」の重要性を語る。「これこそが〝我が事・丸ごと〟の支援だと感じた」とも。
「チームせとうち〝我が事・丸ごと〟支え愛事業」は、瀬戸内町と県大島支庁瀬戸内事務所が中心となり、官民を問わない多機関が連携し、地域共生社会を目指す取り組みだ。▽相談支援▽住まい▽しごとの3部会を設置し、町内の幅広い課題解決を目指す。山本美穂さんが携わる「繋がるやまぐん〝我が事・丸ごと〟コミュニティビジネス創出事業」もこの取り組みの周辺事業として関連づけられる。
林さんは事業立ち上げ当初から、相談支援を包括的にコーディネート相談支援包括化推進員として、相談支援部会のワンストップの窓口を担う。事業が標榜する多機関による連携の中心に立つ、各機関を結ぶ架け橋の役目だ。
加計呂麻島芝集落出身の林さん。1998年からは宇検村の保健師として勤務した。この時代、宇検村は保健師1人体制。新人時代から1人で村の幅広い業務を担当しなければならなかった。教えを請う先輩たちは他市町村の保健師たち。困ったときには電話をかけた。
04年からは瀬戸内町に勤務し、07年からは同町地域包括支援センターの立ち上げに携わった。こうした幅広い業務に携わった経験から、事業の中心的存在に抜擢された。林さんは「不安もあるが、地域の人のトータルケア(全般的な支援)を目指す〝我が事・丸ごと〟は保健師の原点とも言える」と話す。
80歳代の親が年金などで50歳代の子どもの生活を支える「8050問題」をはじめとし、発達障がいを持つ人や生活困窮者への支援、ごみ屋敷問題など、町に潜在する問題は多岐にわたる。居住できる住居がない男性の支援の場においては、貸家の持ち主に支援体制を丁寧に説明し、住居を用意。町建設課住宅係などに畳の提供を求め住宅の整備、居場所づくりのための就労支援、介護サービスの提供を求めるなど、1人の支援でも多機関の協力が必要な事例も多い。
2月に同町で行われた事業報告の中で、林さんは「役場、瀬戸内事務所の各課相談窓口で、それぞれの方々が要支援者を発見しやすい。相談を受けた後には〝一歩踏み込んだ〟声掛けで相談窓口に確実につなぐことが大切」と、関係機関から出席した約70人に呼び掛けた。
公営住宅の家賃、公共料金、保険料などの支払いが滞っている人などは町役場の各担当課が把握している。こうしたきっかけから要支援者を発見することも可能で、林さんは「携わる全員が〝我が事・丸ごと〟の視点を持つことができれば解決につながる」とする。
一方で「事業が始まってから町役場の中の雰囲気は変わりつつある」とも。複数の課に用事がある人が訪れた場合に、最初に対応した課の職員が次に用事がある課の窓口まで、案内する姿が多く見られるようになったそうだ。
町役場内の各課連携に向けて林さんは、書類などを渡す際に必ずその場に自分が出向き、直接手渡し。「こうすることで、他課の人と課題を語り合うきっかけにもなる」。
昨年1月に役場各課や事業に参画する関係機関には、周知を目的に卓上旗が設置された。「卓上旗が目に入ることで役場職員も〝我が事・丸ごと〟を意識する。設置から1年が経つが、思い出してほしい」と話した。