デビュー曲を手掛けた川村結花は、「大島紬が奄美産とは知らなかった」という。=ポニーキャニオンアーティスツ提供
2009年1月7日、ついにその日が来た。城南海歌手デビューである。作詞作曲は、SMAPの「夜空ノムコウ」などを手掛けソングライターの才覚を発揮している、シンガーソングライター・川村結花。前年の12月に19歳になっていた南海に、与えられた曲は「アイツムギ」だった。
川村は当時のマネジャーから、「今度こんなシンガーがデビューすることになり楽曲を依頼されている、との旨を伝え聞き、資料の写真を見せてもらった」のが「最初の出会い」だった。その後しばらくして実際に、東京・原宿の落ち着いたカフェに現れた南海は、「可憐な笑顔がかわいい、おっとりとして性格の良さそうな女の子」との印象を与えている。曲に関して川村は、「私の思う、彼女のイメージで自由に書かせていただいた」ように記憶している。やがて誕生した曲を歌った南海は、「歌詞とメロディーが優しく心に染みこんでくる、とてもすてきな曲」と、胸の奥の方まで響いてきた初めての感覚を、今でも鮮明に覚えている。
スカウトから関わっているポニーキャニオンアーティスツの河野素彦は、「デモ録音の時が最初でしたが、意外と歌えないなと思っていました。しかしそれは、彼女がポップスをシマ唄の感覚で歌って良いか迷っていたからでした。『アイツムギ』をレコーディングした時に、好きなように歌ってほしいと言ったところで、一気に今の彼女の歌になったように思います」と、初レコーディングでのエピソードを明かすのだった。
一方、完成した曲を聴いた川村は、「なんて素直でみずみずしいのだろうと感動した」という。「…絶えず絶えずゆきますように祈る心込めて愛紡ぎ…」。南海は、歌うたびに故郷の豊かな自然、そこで暮らす人たちの息づかいまで聞こえてくるように思えた。最高の曲との出会いに感謝の念を抱いた。「奄美の紬をテーマの中に表してくれて、とてもうれしかった」と振り返る。ところが作った川村の事情はやや違っていた。「一番驚いたことは、大島紬が、奄美大島産であることを全く知らなかったことです。〝愛を紡ぐ〟という意味でのタイトルでしたが、のちにリリースされてから、大島紬のことを知ってびっくりしたのと同時に、不思議なご縁を感じました」。ステージで南海は「アイツムギ」を歌う際に、「大切な人を思い浮かべて聞いてください」と、観客に語り掛けるように口にする。デビュー曲。それは、どの歌手にとって掛け替えのない宝だが、彼女のデビュー曲に対する愛情は、他のアーティストに比べても、とりわけ濃く伝わってくるようだ。「巡り会いは贈り物」なのである。
(高田賢一)=敬称略・毎週末掲載