多摩全生園の元SW・中村さんがハンセン病の歴史や、元患者らの苦悩などを語った奄美市生涯学習講座「復帰後の奄美を学ぶ」
奄美市生涯学習講座「復帰後(昭和30年代)の奄美を学ぶ」の第4回講座が27日、同市の名瀬公民館であった。国立ハンセン病療養所多摩全生園(東京都)の元ソーシャルワーカー・中村保さん(68)がハンセン病の歴史や、自身の体験談などを説明。出席した約20人を前に、元患者らの苦悩を訴えた。
中村さんの父・民郎さんはレントゲン技師として、奄美市名瀬の国立ハンセン病療養所奄美和光園に勤務。中村さんは幼少期を和光園の職員庁舎で過ごした。高校卒業を機に上京し、大学を経て多摩全生園のソーシャルワーカーとして勤めた。
中村さんは、明治時代以降の癩予防法の制定や、無らい県運動によるいわゆる〝患者狩り〟が行われたことなど歴史を解説。「政府が誇大に恐怖をあおった。無らい県運動では患者は通報され、収容時には家を毒したことで、差別が生まれた」と話した。和光園開設前も奄美大島でも特定地区の全戸検診があり、患者らが熊本などの療養所に強制的に入所させられたという。
患者らが療養所に入所した後、名前を変えることを余儀なくされた事実を紹介し、「国の力で愛する家族と離別させられ、今までの生活のすべてをなくさなければいけない。人間ではないような扱いを受けていた」とも語った。
元患者の「娘に会いたい」という思いをかなえるために奔走した経験について、「『父が隔離されたことで、町にいることもできなくなった』と言われ、頑として会ってくれなかった。家族も大変な思いをした」と振り返った。こうした歴史や事例を示し、中村さんは「元患者らは人には言えない非常に重い思いをもって生きてきた」とし、講座を締めくくった。
終了後、出席者らからは「らい予防法制定前の江戸時代などの患者への対応は」、「感染の可能性が低いことが知られたのはいつごろか」などの質問が挙がった。