西古見砲台跡の発掘調査

西古見砲台跡の発掘調査

砲側弾薬庫から砲座へ続く弾薬を運ぶ道路


土砂を取り除き全体が確認された砲座

砲座や弾薬庫の全容把握
瀬戸内町埋文センター
東京湾要塞跡と共通性・相違点も

 瀬戸内町西古見の西古見砲台跡の発掘調査が終盤に差し掛かり、町教委埋蔵文化財センターによると、砲座や砲側弾薬庫などの覆土を除去し測量して実測作業を実施。29日は県外の研究者が調査指導に当たり、国史跡の東京湾要塞跡の砲台跡との共通性や相違点などを指摘した。

 町教委は国庫補助事業を活用し、2014年度から3カ年で町内の埋蔵文化財の分布調査を行い成果として調査報告書『瀬戸内町内の遺跡』2冊を刊行。近代遺跡(戦争遺跡)を扱った第二分冊「近代遺跡編」には、旧陸軍・海軍206カ所の軍事施設跡などを掲載していた。

 17年度から重要な近代遺跡について、4カ年で内容確認の測量や発掘調査を行うことなどを計画。18年度は大島海峡西口に位置する奄美大島要塞の砲台の一つ西古見砲台跡の調査に着手。昨年12月はGPS(衛星測距システム)データなどを測定し、今月17日からは弾薬庫や砲座などを発掘調査している。

 町教委の鼎丈太郎学芸員は「米軍の撮影した写真などで四つの砲座と二つの砲側弾薬庫が建設されていたことが分かっていたが、戦後70年以上が経過して遺構は樹木や土砂に覆われており詳細を調べるのは今回が初めて」と説明。これまでの調査で砲側弾薬庫の上部構造や全体の形状、弾薬を砲座まで運ぶためのコンクリート敷道路の形状などが明らかになったという。

 砲側弾薬庫は調査前に長方形を想定していたが、実際は四隅が丸く土を被せる前に粗い砂を入れて雨水が弾薬庫躯体に侵入しないよう、排水面も考慮した覆土状況を確認。砲座は直径約6㍍の円形の砲床をコンクリートで囲う構造で、28糎=せんち=榴弾砲が設置されていた。

 遺跡の調査指導を、横須賀市教育委員会生涯学習課文化財係の野内秀明さんが担当。野内さんは、国史跡に指定された東京湾要塞跡の猿島砲台跡・千代ケ崎砲台跡の調査研究に関わっており、以前同町の近代遺跡を視察した経験がある。

 野内さんは「東京湾要塞跡の砲台は明治期に建設され、西古見砲台は大正時代と時期差がある。また建設資材もレンガと鉄筋コンクリートなどの相違点がある」と解説。「西古見砲台は、残存状況が良好。近くの沢からきれいな水を引く導水施設や、水をろ過する構造物などもしっかりしていて東京湾要塞跡のものよりシステマチック(体系的)だ」と語った。

 「単に戦争遺跡としてだけでなく子どもたちへの平和教育や、日本が西洋技術をいかにして習得したかなどが分かる遺跡として活用を」と野内さんは助言。鼎さんは「発掘調査して、西古見砲台跡の弾薬庫や砲座の構造などが分かってきた。国指定の史跡にできるよう、今後も整理作業や研究に努めたい」と話した。