環境文化型、どう継ぐ?

『打田原の生活誌』を手に和田さん

集落の営みを後世に
『打田原の生活誌』発行 笠利町喜瀬の和田さん

 奄美市笠利町喜瀬に住む元教員の和田昭穂さん(88)が北海道大学大学院の文学研究院らと協力して執筆した本『奄美大島・打田原の生活誌―やま・さと・うみのいとなみ』が発行された。集落のお年寄りらから話を聞き、人々の生活や風習、歴史を自然の関わりとの中で綴っている。過疎化や高齢化が進み、このままでは大切に守られてきた知恵や風習が後世に伝わらなくなるのでは。そんな思いが協力につながった。

 和田さんは、母の病気治療に通うため1968年に35歳で大阪に移住。教員を定年退職した後、2006年に生まれ故郷の打田原集落に戻った。

 帰郷後は、海岸に流れ着いた流木などを燃料に天然の塩づくりを体験する小屋「打田原のマシュやどぅり」を経営。昔ながらのライフラインを見直そうと集落井戸を復元するなど、地元を生かした古里おこしに熱心だ。

 きっかけは2014年。徳之島出身で同研究院の金城達也さんら2人が「ナリ(ソテツの実)について知りたい」と訪ねてきたことから始まった。2人は当時「ソテツの食文化」を研究。熱意を感じた和田さんは集落の高齢者を紹介し聞き歩きをしたところで調査は過熱。研究は集落の暮らしや自然環境にまで及んでいった。

 本は全10章で構成。11人から聞き取った話を「やま」「さと」「うみ」にまとめて、各章で詳しく書いた。

 例えば、塩は戦後から自分たちで作った。塩は専売品で本来は許可が必要だが、米軍政下では制度が適用されず作ることができた。子どもたちが名瀬方面へ売りに行き、中学校の月謝が65円の時代に一昼夜で100円に。この他、塩を炊く共同小屋があったこと、薪のくべ方、夜はケンムンがきて塩を焚かせないという話まで、第10章の「塩づくりの今と昔」で紹介している。

 話を聞いた11人は、そのほとんどが75歳以上の後期高齢者。集落の営みをどう記録するかが課題だったが、和田さんは「共同で作りあげた打田原の百科事典。次代の若者に引き継いでいきたい」と話している。

 集落の営みを受け継ぐという課題は、戦争記憶の継承にも似ている。敗戦から75年が過ぎ、自らの体験としての戦争を生で語れる人は高齢化し、減少の一途をたどっている。得た「教訓」を後世に継ぐことは必要で、歳月がたつなか「どう継承するのか」は各分野がはらむ問題だ。

 一方、奄美は長年自然と共に暮らしてきた。奄美群島国立公園は、独自の「生態系管理型」と「環境文化型」の二つの方針で管理してきたことからもそれは伺える。「環境文化型」は集落と自然の関わりそのものを受け継ぐということ。奄美で「豊かな自然」を受け継ぐことは、「集落の営み」を継ぐことと同義語で、大切な宝をつないでいくために欠かせないミッションだろう。

 本は「人びとの歴史の多様性に耳を傾けることで、大きな歴史に一元化されない、地域固有の歴史を形づくることができる。その営みは地域を圧迫する力を押し返すための大きな力になる」と結ぶ。共著者の宮内泰介さんは「同じ打田原でも三つの地区で違いは少なくない。世帯や個人でも違うだろうが、学びの成果から学び合いを生んでほしい」と本書の活用を訴えている。

 和田さんは現在、塩づくりを若い後進に引き継ぎ、ナリを「地域の宝」にと没頭している。専門機関の成分分析からは、米やサツマイモなどの同じ穀物と比べてタンパク質や鉄分がずば抜けて多いことなども判明。ヘルシー志向で「生活習慣病予防に役立つのでは」とも期待する。

 「長く継がれるものには何かの理由があるはず」と和田さん。「捨てるは簡単。恵みの享受を今一度見直し発展させることで、後世に還元したい」と話している。

 (青木良貴)