「戸森の線刻画」遺跡説明会

「戸森の線刻画」遺跡の現地説明会(第3線刻画)=5日、天城町

「薩摩侵攻」の実見記録か
天城町教委「第3線刻画」も、13日にシンポ

【徳之島】天城町教育委員会は5日、2012年度―15年度に発掘調査した「戸森の線刻画」遺跡(同町瀬滝)の一般対象の現地説明会を開催。新たに確認した「第3線刻画」の全容、花こう岩に線刻された謎の弓矢や船形の特徴などを解説。出土品の状況から「薩摩侵攻(1609年)を経験した島人が、その衝撃を後世に残すため描いた可能性が」との説も示した。13日に初のシンポジウムを計画している。
 
同町秋利神川の上流に位置する謎の「戸森の線刻画」。1922(大正11) 年ごろ一部に認識され、数々の研究者らが調査。町教委は89(平成元)年に梅光女学院大学に正式調査を依頼し、92年1月町文化財に指定。国営農地開発事業地区から除外して00年に町有化、史跡公園として整備した。

露頭する岩盤(いずれも花こう岩)に、船や弓矢などの線刻画が描かれた文化財は、奄美群島では徳之島だけの特徴。これまで「戸森」のほか町三京、徳之島町母間、伊仙町馬根、同町犬田布岳頂上を含め計5カ所、9つの岩盤や転石に線刻画が確認されている。

天城町の発掘調査は「町に残る特徴的な文化財」との認識のうえに、年代、歴史的価値を明らかにして保存・活用を図るとともに、県や国の文化財指定の実現が目的。12年度から国庫補助事業活用、すでに調査報告書の作成も終えた。

現地説明会講師は、同町ユイの館講演会も兼ねて具志堅亮学芸員(32)が担当。家族連れなど遺跡ファン約20人が訪れた。

出土遺物が極端に少ないなか、線刻画周辺の発掘トレンチから、17世紀後半の備前産染付鉢と近世のものと考えられる染付碗などが出土したことに、「17世紀後半ごろから一帯の開発行為(水田など)が始まったと考えられる」と考察。第1~3線刻画へと「何世代かにわたって描かれ、世代が進むにつれて〝手抜きの〟粗雑な線に変化」。船の帆の材料は、ムシロよりも新しい「布を表現」している可能性も示唆。

中世遺跡説など諸説入り乱れてきた中、具志堅学芸員は「薩摩侵攻を経験した島人の記録と判断した」と近世(江戸時代)説を強調。「今後、中世までさかのぼるかどうか、検討することが課題」とした。

「戸森の線刻画シンポジウム~線刻画の謎に迫る」は、13日午後1時から天城小体育館で開かれる。多数の来場を呼び掛けている(入場無料)。